2018年5月4日、天川村に向かいました。村の西部を流れる天ノ川(てんのかわ)。清流には鮎やアメノウオ(あまご)が。
滝の見える露天風呂で有名な「みずはの湯」。菖蒲風呂でした。キャンプ利用者が大勢入湯してきました。
この連休、村の東部の洞川温泉街はもっと混雑していることでしょう。
天河大辨財天社へお参りに。私は24年ぶりです。主人と息子は初めて。なさけないことに、この神社のたたずまい、あまり覚えていませんでした。
急いで撮ったので、ぶれぶれ。しかし、能舞台は覚えていました。石段を登った先、左手に本殿、右手に能舞台。
私は10代後半、観世流の謡(うたい)を習っていました。お能を学ぶと、南朝の歴史を看過できません。
天河大辨財天社の裏、南朝黒木御所跡。吉野行宮を高師直に陥落せしめられた後村上天皇一行が天河に落ち延び、住まいとした皇居跡です。
先述の吉野山や天河、賀名生、十津川など、南朝の皇居跡は奈良県南部に点在します。後南朝の皇居跡まで含めると、それはもうかなりの足跡です。
黒木御所とは、皮を剥かない丸太つまり黒木で作った御所です。深い山の中、敗走のさなか、なんといっても目立つわけにいかず、黒木。いまはもう建物は何も残っていない広場、正直「せまい」と思いました。ここに限らず、行宮のほとんどは手狭の印象です。
今東光和尚が南朝と後南朝の歴史を紐解くと「かなしくなっちゃうよ」とこぼしていましたが、私もまったく同感です。
午後、高師直にえらい目に遭わされた吉野山へ来ました。この金峯山寺蔵王堂も、高師直に攻められ、灰燼に帰したのです。
吉野山を「吉野城」として要塞化したのは、後醍醐天皇の息子の大塔宮護良親王です。
この皇子もなかなかの火の玉で、天台座主という仏教界随一の地位にあり、そのときに仕入れた知識・人脈を駆使し、吉野山を含めた大和南部を山伏のネットワークで傘下に置きました。
しかし。
源氏の棟梁、足利尊氏の度量には、勝てず。
尊氏は、とっても気前が良かったのです。対して、後醍醐天皇は……
大塔宮の最期は、かわいそうでなりません。「武家よりも君の恨めしく渡らせ給ふ」とは、自分を殺した足利直義より、自分を見殺しにした父天皇こそ恨む、ということ。
大塔宮の最期をつぶさに描いた『太平記』は、世論でもあります。
比叡山延暦寺は、この活き活きとした座主を愛しました。大和の人々も、天狗のように南山を跋渉したこの若い皇子を「大塔村」と地名にまで称え、いつまでも忘れずにいます。
高師直は吉野山を攻める際、大塔宮吉野城を降した経験者を、部隊に加えていたはずです。高師直は好色老獪、『太平記』の悪役など、徒の鼠ではありません、政治軍事に長けた実力者です。
蔵王堂を参るたび、諳んじた『太平記』とそれ以外の資料を照らし合わせます。軍記と正史と民俗学と宗教学と。
Yoshino Berg ist “Der Zauberberg”.
吉野山こそ、魔の山、です。
蔵王堂に向かうまでにおなかが空き、「御食事処 花屋」に入りました。ここは立ち寄り易くて、よく訪れます。私は葛定食にしました。私、葛ばっかり食べています。息子はカレー、カレーばっかりです。
主人は鮎定食。私も鮎を単品で戴きました。吉野に来たら鮎を食べないと、まだ解禁じゃないので、初物ではなくとも。
蔵王堂まで到る石段。片側、絶壁です。
蔵王権現、特別開帳、まんまえで観させて戴けました。息子はいま一休さんのように丸坊主なので、お坊様や寺務の方々に頭をなでなでされ、良い御身分。
吉水神社までが、吉野山半日のコース。明治の廃仏棄釈までは、吉水院という金峯山寺の僧坊でした。ここも、南朝の行宮でした。
一目千本、太閤花見の本陣です。秀吉にしろ、尊氏にしろ、大陸のチンギスハーンやティムール、気前の良い人物は天下を取りますね。
「こんにちは!」と我々参拝客に大きな声で挨拶されたのは佐藤宮司です。門を出て、こちらへ向かい直し、深々と一礼され、外出されました。
こちらの神社さんは、動物の出入りがOKで、義経と静が匿われた書院の拝観まで、抱っこしてなら一緒にできるのです。道理でワンちゃん連れの方が多いはず。みなさん喜ばれていました。
お守りもとても豊富で、桜をメインとしたデザインも目を瞠ります。静御前のお守りがあり、息子が「男の人のお守りや」と言いました。ああ、先入観のない息子には、ちゃんと白拍子の水干姿は男に見えるんだ、と、私は内心驚嘆かつ安堵。
「心はものに狂はねど、姿を狂気にもてないて」は説教節小栗判官。照手姫が我が身を狂女とし、歌い舞いつつ、熊野まで小栗判官を車で曳かせました。
静御前は『吾妻鏡』以外ほぼ記録されず、ほんとうに吉野山まで来たのか、鎌倉まで連れて行かれたのか、実際のところ、あやふやです。
心はものに狂うことはなく、だからこそ“しづか”だったのではないでしょうか。
吉野山の入口で遊んだ午後でした。
楽しいね、いつ来ても。
私は二十歳の秋、一泊二日で奥千本の西行庵まで行きました。奥千本まで来ると、天河も、もうそこ。
天狗のように南山は飛び交える仙境です。
いや、やはり魔境、魅力が過ぎて。