ならだより

2019.7.14 水のきざはし

2019年7月14日、吉野郡下市町の丹生川上神社下社(にうかわかみじんじゃしもしゃ)へ参りました。
水色の幟が壮観。

丹生川上神社は、吉野山中に三社あります。
下市町の下社は丹生川、東吉野村の中社(なかしゃ)は高見川、川上村の上社(かみしゃ)は紀の川、いずれも川のそばちかくに佇む社です。
雨乞い晴れ乞い、いずれも水を司る龍神に祈るものゆえに。

拝殿から丹生山頂の本殿まで、日本最長の木製75段の階(きざはし)を望む。
階は、敏達天皇7年つまり西暦578年の飛鳥時代に創建された世界最古の会社、金剛組によって150年ぶりに修復され、先月6月1日に社殿修復終了の遷座祭が行われたばかり。
総檜造の階からは、とても良い木の香がただよっていました。

よく見ると、ご神木を傷めないように屋根や手摺が工夫されています。
すばらしい、自然も階の一部なのです。

6月1日の例祭の日だけ、階を登って本殿までお参りできます。
拝殿から覗く階、なんだか龍のおなかをくぐるようです。

ご朱印をいただきに社務所へ向かうと、皆見宮司様がうちの息子へお菓子を授けてくださいました。
息子と私、びっくり。
国政を担うほど地位の高い方なのでお名前は出せませんが、丹生川上神社様に縁ある篤志家の方が、明日7月15日の海の日のお祭りに向け、お供えをたくさんご奉納されたのです。
「お子さんがお参りに来られたら、ぜひお下がりとして差し上げてほしい」との一言を沿えられ。

7月14日、この日は雨。
主人は、神社で大切に飼育されている白馬と黒馬を眺めに厩舎の前にいました。
晴れの日は、境内の馬場で遊んでいる2頭です。
で、私はしばらく皆見宮司様とお話をさせていただきました。

こちらの神社様はいつも前を通ってはいたけれど、きちんとお参りさせていただいたのはこれが初めてです。
昨日、主人が奈良テレビ放送の番組で、こちらの神社様を拝見し、白馬と黒馬が飼われていることを知り、「行きたい!」と思い立ったので。
息子は小さいころ、川上村の丹生川上神社上社様で、龍の珠をお下がりとしていただいています。
こちらではお菓子を頂戴して、なにかとご縁があるようで、ほんとうにありがたいことです。

皆見宮司様は「言挙げせず(言葉にせずとも伝わる)」と、「ありがとうは進んで言葉にしよう」と、一見相対するようで根は一つのような教えを授けてくださいました。
あと、もろもろの楽しいお話を。

しばらくして若い男性の神職の方が「今から拝殿へご案内させていただきます」と、私たち3人と、たまたまお参り中の方々に声をかけられ、拝殿に上げてくださいました。

「『かけまくもかしこき』との祝詞は『言葉にするには畏れ多い』
との神様への敬意です。
そのお気持ちが何よりです」
若い神職の男性の言葉は、この水神坐す社にふさわしい清澄さでした。

檜の香りにあふれる階、真正面から眺めさせていただきました。
「僕、僕のおかげでみんな特別に拝殿にあがらせていただいたのよ。僕がいちばんに神様にご挨拶してね」と、皆さんにすすめられて、息子を先頭に、階に望みました。

「龍のお母さん、3番目のお母さんに、やっと会えた気がする」と息子。
「東吉野村のお母さんのところでは、蜂に刺されたね」と私。
「真ん中のお母さん、おっかないけど、川はすごくすーごく綺麗だった」と息子。
「ああ、『夢淵』のこと」と私。
「ここの3番目のお母さん、13歳くらいの女の子。でも何千年も生きている」と息子。
「流れる水の若さ、やね」と私。

龍のおなかのなかは、格別でした。

主人は白馬と黒馬の飼葉料を納め、交通安全のお札シールを頂戴しました。
「あの子たちのご飯代になったと思うと、すなおに嬉しいな」と主人。

朝からの雨。
ですが、水神龍神の里は慈雨の帳がこよなく似合います。

階は昇り龍。
ここは鯖の身を奉じる御供の儀式もあったそうです。

神様のおなかをくぐって、いったん食べられ、そして再生する。
どんなにつらい目にあっても、ちゃんとまたやりなおせる、そういうふうにとらえても、八百万の神々はお怒りになられないと私なんかは思うのです。