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2024.5.26 五條新町の無限列車

2024年5月26日、4年ぶりに奈良県五條市の風雅地区、五條新町へ。
まちなみ伝承館、吉野川(紀ノ川)が目の前。

無料駐車場の案内看板。五條新町がいかに川に則して造られた町か、一目瞭然。

もと医院の明治時代の民家。早くも厳しい陽射し、軒下で休憩。

奈良県はインバウンドで外国人観光客があふれかえっていますが、ここまでは影響下でないみたいです。

ちょっとまだ、お店が少ないからかもしれない。

うん? 何この素敵なお屋敷。もと西尾呉服店とのこと。

「ししゅうと暮らしのお店」の五條店らしい。ホームページを覗きますと、とってもすてきなお店。月に3日間しか営業されない、おー、これは都合つけて行かないと!

itobanashi | インド刺繍のエシカルファッションブランド
インドをはじめとした途上国のを世界に届ける刺繍ブランド "itobanashi(イトバナシ)" の公式サイトです。itobanashiの衣服の販売やイベント情報を発信しています。「つくる人」をより身近に感じられる "顔の見える服づくり" を...

もと澤井眼科医院、今はショコラ専門店「chocobanashi」さん。
ちょっと今日は暑すぎて、チョコレート食べる気力がありませんでした。次の機会に。

chocobanashi powered by BASE
毎月1 2 3日にオープンする、カカオ豆からつくるチョコレート専門店 「chocobanashi」のオンラインショップです

混まないのは我々にはありがたいのですが、この町としては課題なのでしょう。

五條の名士、吉田茂内閣で法務大臣を務めた木村篤太郎の生家、まちや館。4年前には芸術イベント「アカネイロアート」が開催されていました。

すごく落ち着く二畳間の離れの勉強部屋。
木村篤太郎という人物、表立ってあまりよくわからない人物、です。戦後日本の内閣で重鎮を歴任した、超の付く大物政治家なのですが。
謎ですね。

床下、囲炉裏が隠されています。

地元で採れた茜で染めた糸や布。それで作った小物たち。

昔の日本家屋の階段は急勾配。

2階は暑い! 意外と落ち着かない!

息子、階段が涼しくて落ち着くとのこと。私も子どものころ、階段に座るのが好きでした。

日本家屋は微妙にたわんでいる箇所があります。四角四面でないところも魅力的。

5月いっぱいは皐月人形が飾られるそう。

2018年まで100年ほど続いた餅商一ツ橋、その後に2022年2月にショコラ専門店「chocobanashi」さんがオープンしましたが、2024年3月に、先述の場所へ移転されました。

でも、大丈夫。後継店が決まっているそうです。

来たる2024年6月2日、「さかもと養鶏」さんが無人カフェをオープンされるそう。またここへ来ないと。

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民家の紫陽花の木陰で涼む息子。

まちなみ伝承館で100円でペットボトルのお茶を買い、もと医院の純日本製のお宝を紹介してもらいました。

トヨタ製のミシン。とっても珍しいそうです。トヨタのロゴがいい。

セイコー製の置時計。数字の配置の粋なこと、かっこいいなあ。

ナショナル製のテレビ。いかにここの医院がお金持ちだったか、です。

お嫁さんが乗ってきた輿だそう。お嫁さんもお金持ちの家の出身だったということ。

まちなみ伝承館の職員さんに「まだ行ったことないなら、国道越えた向こうの市役所の近く、民俗資料館に行ってみてください。立派な代官所の長屋門がそのまま天誅組の資料館になっているから。その横に、『鬼滅の刃』の列車と同じ車種の蒸気機関車も置いてあるから」と示唆され、「SL!」と目を輝かせて我々、そこへ馳せ参じました。

民俗資料館、立派な長屋門。
この資料館の前庭の公園、立派な桜が何本も植わっていて、花見の時期はすごく綺麗だろうと想像させられました。

天誅組。もう、悲しくなっちゃう、その運の無さ、間の悪さに。

うわー! ほんとうにあった、無限列車!

すごい気品! 走る貴婦人とはこれいかに!
私、こんなまともにSL見たの、初めて。

「きーれーいー」と息子もうっとり。

ああ、いいなあ、蒸気機関車って。こんな胸躍るものだったのか。

息子「来て良かった!」と大満足。主人も私も激しく同意。

手入れが行き届いていて、大切にされている列車だとわかります。

「この列車、実際に走っていたんだよ。おらも乗りたかった」

で、民俗資料館のなかへ。長屋門なので、門とはいえども広くて部屋があって人が詰めることが可能。
職員さんが天誅組の説明ビデオを流してくださいました。
貸し切り、でした。

天誅組を指揮した中山忠光は、落ち延びた長州で長府藩に謀られ暗殺されました。まだ、数えで二十歳、たったの十九歳でした。
眉目秀麗かつ美丈夫だった中山忠光が通ると、大和の民衆が歓喜でどよめいたそうです。
大和は南へ行けば行くほど、民草の「みかど」を御守しようとの意向が強くなります。
神武天皇、天武天皇、大塔宮護良親王、後醍醐天皇、南朝、後南朝と、それが古来より連綿と続く歴史だから、です。

中山忠光の長州の現地妻、十八歳の恩地トミは中山忠光亡き後、女の子を出産し、乳飲み子を抱えたうえで佐幕派の追手を躱し、忘れ形見の娘、中山忠光が遺してくれた命、何があっても繋ごうと、奇兵隊の護衛で京都まで必死に遺児を連れ帰りました。
恩地トミは伊藤博文に言い寄られるほど美しい人でしたが、どの男も寄せ付けずに一生を終えました。恩地トミにとって中山忠光は伴侶というより、「我が君」、主君だったのでしょう。たった一年しか一緒に過ごせなかった中山忠光ですが、その与えられた想い出に、恩地トミは残りの全生涯を捧げたのです。
中山忠光の遺児の中山南加は、それは見事な公家のお姫様として嵯峨侯爵家へ嫁ぎ、その孫娘の嵯峨浩は、満洲国皇帝愛新覚羅溥儀の弟の溥傑親王に嫁ぎました。

中山忠光が祭神である山口県下関市の中山神社に、溥傑さんと浩さんと娘さんの慧生さんの遺骨が納められています。

とってもとっても不思議な心地がしました。それと同時に、悲しさを覆うほどの温かい想いも。
南北朝時代の北畠顕家のように苛烈な闘う公家が、数百年に一度の頻度で生まれてくる。
病死にするため九人もの藩士に総がかりで窒息死させられた中山忠光、その無念を中山忠光の曾孫の浩さんは、忘れはしなかったのです。
浩さんは、先祖譲りの美貌を誇り、なおかつ心優しいお姫様でした。
中山忠光の意志が受け継がれ、海を渡り、国と国を結びつける絆にまで至ったのだと思うと、感無量でした。

もっと五條の歴史と文化が広められたらいいのですが、なかなか。もったいないと思います。

代官所は天誅組の敵陣営、そこで天誅組の歴史を伝える、皮肉なことに。

このSLも、『劇場版鬼滅の刃 無限列車編』の列車と同じものと、訪問客に教えてもらってわかったそうです。

申し訳程度に看板が掲げられていると職員さんが恐縮されていました。
こういった商売っ気がないところ、好きですが。
でもアピール次第では、たくさん人を呼べるはずです、こんな立派な蒸気機関車で、しかも無限列車なのですから。

右手に蒸気機関車、左手に民俗資料館、立地は最高です。

そういう私もこの国道は数えきれないほど通ってきているのに、この看板に従った試しはなかったのですから、灯台下暗し、です。

人との出会いがなければ、教えてもらわなければ、行きつくことのなかった世界。

これからも精進しなければ、人として。