特別史跡の古墳7基のうち5基は奈良県に在り。
高松塚・キトラ・石舞台・巣山、そして桜井市の文殊院西古墳。
ちなみに5基のなかで最も聞き慣れない巣山古墳は、私が通っていた中学の最寄り。身近すぎて、探索するのも恥ずかしい。奈良の田舎のバカチン中学生だったころの赤っ恥だらけの記憶が蘇るので。
まあ、いずれは、思索の対象にもなるでしょうが。
さて、文殊院西古墳、左大臣阿部(安倍)倉梯麻呂の墓とされます。
安倍氏が建立した氏寺、つまり安倍寺の跡地、現在の安倍文殊院の境内にあります。
文殊院西古墳、めちゃくちゃ美しい切り石積みの古墳。
古代豪族安倍氏の面目躍如たるもの。
奈良大学通信の先輩ツツコワケさんのブログのコメント欄にも書かせていただいたのですが、私は古代ペルシア海軍について調べていたころがあり、そのとき、安倍氏傍系の阿倍比羅夫を我が国の提督のPioneerとして外せない、と考え至ったものでした。
ちなみに桜井市南部、阿部から倉橋あたり、安倍氏の本貫地、私の母方の祖母の産土。
私は否が応でも奈良盆地に根が生えているのです。
安倍氏の行動領域は畿内のみならず、奥州の安倍氏も含めると「なんやねん、このVitalityは」と唸らずを得ない。
後世、陰陽道を担う家門として、つまり古代の星読み、海運業に優れていたは確かでしょう。
なぜ古代ペルシア海軍を調べていたのか。
天智天皇の足跡を辿っていたとき、引っかかって仕方がない疑問が湧いたので。
『日本書紀』、斉明天皇の宮廷をサーサーン朝ペルシア帝国の亡命王族の一行が訪ねたとの一文、よくもまあ、あの時代の航海技術で、皇女や宮女など高貴な女性を伴って大陸から日本まで漕ぎ着けたものだと。
下記、日本船主協会ホームページの「日本の海運史」より抜粋しました。
たいへんわかりやすい概要文で、さすが海運の専門家がまとめられた文章。
推古17年(607)には、聖徳太子が小野妹子を隋に派遣(遣隋使)し、隋との間に正式な国交が開かれました。この時代の日本の船は、刳舟(くりぶね)と呼ばれる丸木舟をベースにしたものが中心でしたから、おそらく大陸の技術を導入して特別に建造されたものだと考えられています。しかし当時の航海術はまだ稚拙で、遭難による死者も数多く、大陸と日本を結ぶ当時の航海は、現代の宇宙旅行以上の難事業だったことが容易に想像されます。
その後、唐の時代になって、630年から894年まで遣唐使船が18回派遣されましたが、この当時の船は、ジャンク船型だったと言われています。船は大型化しましたが、それでも日本に無事に帰ってきたのは、18回中8回に過ぎませんでした。
しかし、2023年12月6日にNHKで放映された『FRONTIERS その先に見える世界 ―1.日本人とは何者なのか―』において、最新のDNA分析で、今現在のDNAの比率は古墳時代のそれにほぼ重なることが示されました。
つまり、おおよその比率で、「縄文人のDNA=縄文10」、「弥生人のDNA=縄文6:弥生(東北アジア渡来)4」、「古墳人のDNA=縄文2:弥生(東北アジア渡来)2:古墳(東アジア渡来)6」、「現代人のDNA=縄文1.5:弥生(東北アジア渡来)1.5:古墳(東アジア渡来)7」となります。
東北アジアとは朝鮮半島から中国およびモンゴルあたりで、東アジアとは朝鮮半島から中国および東南アジアからチベットそしてインドあたりまでの広範囲に渡ります。古墳時代およそ350年の間に、この広範囲の地域から膨大な人員が、日本列島に入植したということなのです。
日本人とは、縄文人より弥生人より、東アジア人と呼んだほうが良いくらい。
これを知ったとき、古墳時代を経た飛鳥時代にはペルシア人のコミューンがすでに日本列島にいくつか出来上がっていても不思議ではない、そう思い到りました。
しかし、日本海も東シナ海も、集団で渡れるほど安定した航海はまだまだ無謀の域だったのも、否定できない。
それでも古代ペルシアの王族たちは女を、それも王家の娘を船に乗せてやってきた。
古代ペルシアは王朝は違えど、サラミスの海戦の敗者のアケメネス朝は、勝者テミストクレスを正客として迎えた過去がある。
そのとき、海運国家アテナイの天才の技術を、ペルシアは盗むように吸収したのでは。
テミストクレスにしても、そもそもが不俱戴天の仇であるペルシアに無償で亡命が叶うはずもないとは元より承知。芸は身を助く。ギリシア随一の海運技術、それがギリシアを追われたテミストクレスの命脈を繋いだ。
船は、海は、女そのものだと。
女をもてなせるのは男のみ。
海の掟、船は女人禁制ではなかったか。
客人としての女は、乗船可能だったのか。
もしくは、ハリカルナッソスの女王アルテミシアや神功皇后や斉明天皇のように、戦うために船に海に臨む女は、もはや女ではないのか。
イスラーム教軍によりサーサーン朝は政権を奪われ、最後の皇帝ヤズデギルド3世は殺され、栄光の古代ペルシア帝国は滅亡した。
日本に亡命したサーサーン朝の王族は、ヤズデギルド3世の息子である皇子と眷族。なかでも光り輝くのは、皇子の娘であり妻である皇女。その千年王朝の目も眩む黄金の残照に、古代飛鳥の宮廷は、遍く、包まれた。
海を渡ってきた女。
千年続いたペルシアの皇女。
当世一、高貴な血。
超人に等しい、果敢さ。
のがれようのない、魅力。
はかりしれない、技術と叡智。
安倍氏の海運能力のみならず、蘇我氏の吉野川治水にも古代ペルシアは影響を及ぼしたのでは。
つまりは姫提督、鸕野讚良皇女にも。
海から来た皇女は、山と川を治める皇女を、どう呼んだのでしょう。
مرزبان
マルズバーン、辺境伯とでも。
深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない
明石海人『白描』