ならだより

2024.9.25 奈良県立美術館から東大寺へ

2024年9月25日、息子の病院受診が検査もなく、びっくりするほど早く終わったため、一路、奈良県立美術館へ。「エドワード・ゴーリーを巡る旅」展を観覧することに。

巡回情報

2023年4月8日(土)―6月11日(日) 渋谷区立松濤美術館

2024年4月20日(土)―6月23日(日) 佐倉市立美術館

2024年7月6日(土)―9月1日(日) 横須賀美術館

2024年9月14日(土)―11月10日(日) 奈良県立美術館

2025年3月1日(土)―4月6日(日)松坂屋美術館

2025年4月12日(土)―6月8日(日)高松市美術館

久しぶり、奈良県立美術館。2021年に高島野十郎展がコロナ禍で開催中止されたのですが、その際に画集やポストカードを特別に購入させていただいたのです。職員さん、とても良い方ばかりの記憶があります。

今年の秋に奈良で開催される美術展、この「エドワード・ゴーリーを巡る旅」と奈良博の「第76回正倉院展」を観覧の予定。
大阪では「吟遊詩人の世界」国立民族学博物館、京都では「丸沼芸術の森所蔵アンドリュー・ワイエス展  追憶のオルソン・ハウス」アサヒグループ大山崎山荘美術館、兵庫では「東郷青児 美の変奏曲」神戸市立小磯記念美術館、滋賀では「生誕100年記念 人間国宝志村ふくみ展 色と言葉のつむぎおり」滋賀県立美術館と「うましうるはし日本の食事(たべごと) / ムレイハ 古代アラビア海洋キャラバン王国 シャールジャの遺宝」MIHO MUSEUMを観覧の予定。

Ⓒ奈良県立美術館

展覧会の内容はもちろん、撮影禁止。ただ、これまでの巡回のプレスポスターは撮影も拡散も可能なので(そもそもプレスつまり広告)、掲げてみることに。

Ⓒ横須賀美術館

エドワード・ゴーリーは画家で絵本作家で舞台芸術家です。アメリカ人ですがイギリス人っぽい繊細さと落ち着きと皮肉と残酷なまでの現実主義を、バレエのグランジュテのように跳躍する愛嬌と品の良さと神秘性でビジュアル化する、秀麗な描き手かつ書き手です。

Ⓒ佐倉市立美術館

私は作家の倉橋由美子が好きで、ゴーリーの絵本を読むたび、「不細工な薬を体内に入れるくらいなら、美麗な毒を呷って死んだほうがまし」と、倉橋由美子の作品を読んで陶然としていた、十代のころの自分を思い出すのです。

Ⓒ渋谷区立松濤美術館

ゴーリーの絵本、うちの息子は幼児のころから書店で立ち読み座り読みで熟読していますが、絶対に買ってくれと私に乞いはしませんでした。

Ⓒ練馬区立美術館

「家にこんな怖い本あるの、無理!」との理由から。息子そのくせ、書店に行けば必ず食い入るようにゴーリーの作品群を読みふける。

Ⓒ新潟市新津美術館

ゴーリーの絵本、おとなも子どもも容赦なく、理不尽かつ現実的な結末に蹴落とされていくのです。運命とは、平等なものなので。

Ⓒ島根県立石見美術館

しかし、その描かれよう、とても品が良く、めちゃくちゃ可愛らしいのです。ずるいくらい。

Ⓒ宇都宮美術館

ここで絵本のあらすじを明かすつもりはさらさらありません。大人気のゴーリー、どの書店でもどの図書館でも作品を網羅されて取り揃えられていますので。

Ⓒ福島県立美術館

私のゴーリーおすすめ5作、いずれも後味は最悪! そこがいい!

『ギャシュリークラムのちびっ子たち または 遠出のあとで』
『おぞましい二人』
『不幸な子供』
『失敬な招喚』
『蟲の神』

今回の戦利品。先ずはポストカード2種。ドラキュラは確かにゴーリーの趣味に合う魔物です、様式美と、羽が生えて飛ぶ軽やかさと。

息子とうとうゴーリーの絵本を買えるようになりました、成長しました。大小のバッジは絵本の表紙。死亡原因が階段から転落のエイミーのマグネット。クリアファイルは『失敬な召喚』の冒頭、いきなり悪魔に飛び蹴りを喰らうシーン、しかも卑怯千万にも急所の背中に一撃お見舞い、最高です。

ゴーリーのトートバッグが欲しかったのですが、無茶苦茶高価なので、500円程度の奈良県立美術館オリジナルトートバッグに鞍替え。いいデザインです。それに、奈良県立美術館がまさかの私と同い年と知れて、50年間、よく頑張ったよねお互いとしみじみ。

まぶしくて目を細めて人相が悪くなった息子。

奈良県立美術館の周辺、官公庁街でもあるので、静かです。

お食事はきたまちの「ごはんの間」へ。大人気のお店ですが、ならまちよりはるかに客層が良いので、落ち着いて食事が摂れます。

今日の日替わりのメインメニュ、息子はメンチカツ、私は天婦羅。お客さんは地元のご年配の常連さんが多く、天婦羅を選ぶ方が多かったです。息子、ここは初訪問、あまりのおいしさに無言で唸っていました。量も多いので、それも息子、感心していました。

息子の病状も快復したので、東大寺の大仏さんにお会いしに行くことに。途中、押上町公民館の前、史跡の案内看板。

弘法大師と小野小町、伝説の担い手のトップバッターふたり、ですね。

遺された石の井桁。井戸を埋めることへの罪悪感、それはそれは拭いがたいものだったのでしょう。

押上町の語源です。この道にそんな雲突くような坂があっただなんて、信じられない。その坂を分岐点に、北と南で文化も隔てられていたのかもしれません。

きたまちから東大寺を目指す。お水取り以外でこの道が混むことはほぼない。

この、掘り出された野仏さまを一堂に会する祠、ほのぼのとします。

東大寺の戒壇院。国宝の四天王像が坐す。お久しぶりです。相変わらず、かっこいい。

戒壇院階段堂

唐僧鑑真和上が天平勝宝6年(754)に来朝して、わが国に初めて正しい戒律を伝えた。その折、聖武太上天皇や孝謙天皇が受戒された大仏殿前の土壇をこの地に遷して戒壇堂を築き、伽藍を造営したのが戒壇院の起こりで、やがてここから多くの僧が巣立っていった。その後、治承4年(1180)の兵火で全焼、重源上人・西迎上人が復興した鎌倉時代の戒壇院も文安3年(1446)に炎上し、現在は江戸時代に再建された千手堂・戒壇堂(県指定重要文化財)・庫裏(くり)を残すのみである。

東大寺ホームページ

暑い日でしたが、この境内にはとても涼しい風が吹き渡っていました。余計なものが見えず、若草山だけを見つめられます。

さて、大仏殿へ到着。さすがにここは混んでいます。しかし、どんなに人ごみでも、東大寺、すがすがしい。

元来た道を戻って。この大仏殿から戒壇院までの開かれた景色、東大寺境内で最も美しいのですが、あまり人に知られていないので独り占め、贅沢な限り。

ここにも、野仏さまが肩を寄せ合って。元気になって良かったね、そう息子に語りかけているような。

息子は大仏様のお膝元で育ったようなもの。私も東大寺にどれだけ恩恵をいただいたことか。もっと身近な文化を大切にしよう、もっと足繫く通わせていただこう、東大寺へ、寧楽の都へ。