ならだより

2022.4.2 青春の夢に忠実であれ ―奥明日香を訪ねて Jugendgedenken―

2022年4月2日、息子のたっての希望で奥明日香を自転車で巡ることに。
朝9時、石舞台からレンタルサイクルでスタート。

花冷えの曇り空。でも、桜は盛り。
春のいちばんいい時期に明日香村を訪れることが叶いました。

先ずは、飛鳥稲淵宮殿跡。
難波宮から飛鳥宮へ戻った中大兄皇子の仮宮か。

この一帯は四方を丘陵に囲まれ、守るに堅い土地であったような。
それにしても、美しい風景。

20代後半、イケイケのころの中大兄がここら辺を闊歩していた。
中大兄の娘の、当時10歳にもならない鸕野讃良皇女のちの持統天皇は、飛鳥ではなく吉野にいたような。
私の妄想、炸裂。

この宮は中大兄の隠れ住まい。
難波宮の孝徳天皇と決裂の果ての、飛鳥への帰京だったのだから。
孝徳天皇は、中大兄の両親の舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の弟、つまり中大兄の叔父です。
中大兄の妹の間人皇女は孝徳天皇の正妃。
兄は妹をつれて、飛鳥へ帰京したのです。

なんだろう、もしかしたら要塞でもあったのかもしれない、この立地。

展望台を目指すことに。息子、初めての稲渕宮跡に興奮。
「ママ、ここ来たことある?」
「あるはず。でも覚えてないな」

コロナ禍の影響で廃業した宿泊施設の祝戸荘を途中に、展望台へ。
祝戸荘、息子が小学2年生の夏休み、台風で参加できなかった催しの場。
いつかまた再開してほしい。

桜、なんてうつくしい。
ここに、兄が、妹と、いた。

ゆずれない想い、白い炎。
雪柳とともに、ゆれる。

丘を下りて、さて、飛鳥の有名な石造物、マラ石。

この見事な桜、なんだか男性に見えてきた。
名付けて、コノハナサクヒコ。

「子孫繫栄、五穀豊穣」と歌い踊る息子。
飛鳥川の対岸の丘がフグリだそう。
コノハナサクヒコだ、やっぱり。

マラ石の近く、坂田寺跡。
止利仏師の一族、鞍作氏の氏寺。

養護施設の方たちが日向ぼっこをされていました。
飛鳥は、どこもかしこも憩いの場なのです。

ここは飛鳥時代当時、最高の技術者の要地だった。
いまはのどかな花見の名所。

少し自転車を走らせて、稲渕の棚田へ。
朝靄というか、春霞というか、けぶるような春の棚田。

南淵山を左手に、飛鳥川を右手に。
奥明日香、ほぼ貸し切り。

明日香村の平地と段違いに少ない交通量。
石舞台から南、奥明日香はサイクリングにもってこいです。

飛鳥川にかかる男綱。男性龍神のシンボル。
ここから水神の里の始まり始まり。

目にも胸にも染みる。
一瞬の、永遠の、花。

飛鳥川の飛び石。
いざ、『万葉集』の世界へ。

人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡

人言を繁み言たみおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る

人の噂があまりに多くうるさいので、自分が生きてきたこの世でいまだ一度もしたことのない、夜明けの川を渡ります。

但馬皇女『万葉集』2-116

但馬皇女の烈しい恋の歌は桜井の磐余が舞台だそうですが、皇女が徒歩で渡れる川なら飛鳥川のこの飛び石あたりが相応かと。

「いつか彼女と一緒に渡り」
「わかった」と息子の即答に、言い出しっぺの私、狼狽。

「勉強の邪魔するような彼女は要らんけど」と息子。
ああ、あんたはそのタイプか。

私が背伸びして、息子が屈む。
なんと息子、身長160㎝に!

「次はパパを超えるよ」と息子。
「のぞむところ」と主人。

中大兄の師、南淵請安先生(せんじょう)の墓。
奥飛鳥は、中大兄のちの天智天皇の、青春の夢の揺籃地。

青春の夢に忠実であれ

フリードリヒ・フォン・シラー

天智天皇、葛城中大兄皇子、あなたほど自らの青春の夢に忠実に生きた者もなかった。

少年といってもいいほど若い日のあなたに辿り着けて、僥倖でした。

目の前の高台、関西大学飛鳥文化研究所。
ここでいったん石舞台へ撤収。昼食の予約時間が迫っているので。

石舞台の最寄、レストランあすか野。予約しないと食べられない創作古代食「飛鳥の宴」。観光まるだし、素敵!
こちらの店員さんはどなたもとてもホスピタリティ精神あふれ、観光レストランとして最善です。

「おら、今日めちゃくちゃ楽しい。まだまだ走りたい」
息子よ、案ずるなかれ、午後からまた奥明日香、行くで。

飛鳥の蘇、アマゴの塩焼、古代米、干柿、無花果、蓮の実、白木水母(しろもずく)、などなど、食べやすくアレンジされた古代食。
びっくり、かーなーり、美味しい!
昔ながらの観光レストラン、見直してばかりです。

古代米温麺にもアマゴ。海のない大和、地産は川魚になります。
味良い、見目良い、大満足の昼食となりました。

さて、午後からは、to be continued !