ならだより

2024.8.3 いつか君の背中もまっすぐ割れるはず ―賣太神社と稗田環濠集落―

2024年8月3日、平城京羅城門跡より南へ2kmほど、古事記編纂の大役を担った稗田阿礼を祭神とする賣太神社へ。この稗田の地は、日本史空白の4世紀頃には環濠集落の基盤が成されていました。現在も賣太神社を中心に、たいへん見事な環濠集落の面影をそこかしこに残しています。 

ここは大和郡山市なのですが奈良市と天理市にもほど近く、そのくせ周囲に邪魔するような高層建築物も見当たらないので、大和国中(やまとくんなか)とはこれいかに、の風情に満ちています。そのせいか、賣太神社は奈良県を統括する県社でもありました。

賣太(めた)とは、猿女君稗田氏が朝廷より賜った養田を治める者を猿女田主(さるめたぬし)と呼び、それから猿を省いた女田(めた)が語源と言われています。
関係ないかもですが、関西では卑語で牝の動物を「めんた」と呼びます。
稗田阿礼の性別も女性説が根強くあるように、ここら一帯を女系の一族が担っていたとしたら、痛快です。

とってもすがすがしいお宮さんです。まともにお参りしたのは、これが初めて。

社務所を左折して、西の奥に拝殿。珍しいお宮さんですね、西に向かって拝むとは。

素晴らしい案内看板、この一枚に要をきちんと押さえていて。

平城京の道祖神として据えられた社だと、よくわかります。

下の稗田環濠集落の写真、集落の北東が鬼門として削られている「七曲り」に注目。

奈良盆地を隈なく巻き込み、平城京がいかに考え抜かれて造営されたか、身をもって再認識。

これは、納得の御利益です。

由緒書きの見事なこと。こちらの神職各位、誇りをもってこの社に仕えておられることが伝わります。

うーん、読めば読むほど稗田阿礼が女性に思えてくる。

語り部の里、物語の神、いいですね。

拝殿、夏の神庭の美しさ! 賣太神社、こんな爽やかなお宮さんだったとは!

木札に祈願を。腸炎で体調を崩してけっこうしんどい夏休みの息子、道開きの御祈願を。

息子、いっとき、身長174cmで体重50kgを切ってしまいました。そんなスーパーモデルみたいな痩せ過ぎの体形、中学生男子にはふさわしくありません。

「はらえたまえ、きよめたまえ、かむながらまもりたまえ、さきわえたまえ」
賽銭箱に掲げられた略祝詞を、息子、粛然と唱えていました。

天鈿女命、稗田阿礼、猿女君の神は皆、懐深い心優しい女性に思えます。
どうか私の瘦せっぽちの息子を、あたたかいその腕(かいな)で包んであげてください。

天には蝉時雨、地には空蝉。
「すごく綺麗に割れてる、背中」と息子。

いつか君の背中もまっすぐ割れるはず。