かたたがえ波斯へ

2024.12.20 京都で観る シルクロードの遺宝の集大成(アップロード途中)

日中平和友好条約45周年記念世界遺産 大シルクロード展 Ⓒ京都文化博物館
日中平和友好条約45周年記念世界遺産 大シルクロード展 Ⓒ京都文化博物館

2024年12月20日、京都文化博物館にて大シルクロード展を観覧。その日は平日でしたが、三者懇談で中学校はお休み、息子と一緒に京都市中京区の三条高倉まで向かいました。

地下鉄烏丸御池駅の構内にて。京都の中心部に行くのは随分久しぶり。息子はここらあたり、初めての訪れです。三条高倉あたり、鴨川沿いじゃないので、そんなに人で混み合いません。

そういう私も、京都文化博物館に行くのは初めてなのです。

それにしても、こちら、近代建築として最高級の豪壮さ。煉瓦造りということは、明治の建造物なのでしょうか。

そう、この、明治時代の新進気鋭の精神を絶やさず息づかせている遺構、旧日本銀行京都支店なのです。

 日本銀行京都支店は、明治27(1894)年に東洞院通御池上ルに本店出張所として開設されました。当時は木造瓦葺(ぶ)きの建物でしたが、明治39(1906)年に三条高倉の角に新築された煉瓦(れんが)造の建物に移転します。それがこの建物になります。以後当支店は、昭和40(1965)年に河原町二条に再移転されるまで当地で営業を続けました。

 旧日本銀行京都支店は、明治36(1903)年に起工し、同39(1906)年6月に竣工した煉瓦造の建物です。設計者は辰野金吾(たつのきんご)、長野宇平治(うへいじ)でした。辰野金吾の名前はご存じの方も多いと思いますが、工部大学校(現東京大学)においてジョサイア・コンドルに建築を学び、日本の建築界を牽引(けんいん)していた人です。日本銀行本店、東京駅丸の内駅舎や奈良ホテル本館の設計者としても知られています。

 明治という時代は、建築の世界に限らず西欧の技術を一気に吸収し、実践していった時代です。維新からわずか40年ほどで完成した当建物は、人を圧倒するような大きな建物ではありませんが、三条通の中に溶け込んで美しい姿を見せてくれます。また、この時代には建築家が職業として知られるようになり、日本の建物も、それまで設計図もなく大工棟梁が拵(こしら)えてきた時代とは大きく違った歴史を歩むことになります。

「建造物編(53)旧日本銀行京都支店(京都市中京区)明治期最先端の煉瓦造」

京都新聞 2019年7月3日

100年前の日本の、意気揚々たる上げ潮の気迫、肉薄してくるようです。

着いたのが11時過ぎだったので、先に昼食を摂ることに。文博(京都文化博物館の略)の敷地内に、京都を代表する喫茶店「前田珈琲」の旧日本銀行京都支店 金庫室「文博店」があり、入ることに。

京都の老舗喫茶の草分けである前田珈琲さんは、博物館や文化ホールや二条城や高台寺など、文化施設内に店舗を構えていらっしゃるせいか、私は前田珈琲さんに直接向かう御縁がなく、だからこそ、いつか必ず訪れたいと願っていたのです。

前田珈琲(マエダコーヒー) -京都人に愛され半世紀 「京都老舗喫茶」-
1971年創業。コーヒーはこだわりの自家焙煎、フード類も菓子もすべて手作り。店舗には種類豊富なモーニングや、ボリューム満点のランチ、多彩なスイーツがあり、ギフトなどの商品をインターネット通販サイトで取り揃えています。

大シルクロード展とコラボした特別メニュ、シルクロードカレー。タリム盆地のタクラマカン砂漠をイメージしているのでしょうか。これ、見た目の美麗さだけではなく内実伴う、めちゃくちゃおいしいカレーで、量もたっぷり、食べ盛りの息子も大満足。私は食べ切れそうもなかったので、チキンライスを2割ほど、息子に譲ってあげました。

京都市内に14店舗を数える前田珈琲さんですが、出されるメニュは、すべてお店での手作りなのです。目利き食通の多い、美意識の高い京都で信用を勝ち得、長年お商売されてこられたのも伊達ではないのです。

Ⓒ前田珈琲 文博店

大シルクロード展の目玉の瑪瑙象嵌杯をイメージしたパフェとフロートもあり。さくらんぼがかわいいなあ。キレッキレのデザインじゃないところも、老舗喫茶の文化だと思います。そもそも喫茶文化は、市民のものなので。

食後、私はおすすめブレンドの「龍之介」を。味わい深いのに飲みやすい、納得の一杯で、奈良から一時間半かけてやってきた労も、吹っ飛びました。おいしいなあ、オンラインショップで買おうかな。

息子は英国風ミルクティをチョイス。これも牛乳で茶葉を煮だしているので、丁寧で贅沢で、とってもおいしい。息子、これまた大満足。カップのイラストもかわいくて、これもオンラインショップで買おうかな。

「この喫茶店、また来たい」と息子。

うん、他の店舗も訪ねたくなったね。何より、雰囲気が最高、お客さんもほとんどが博物館観覧の合間に訪れている方ばかりなので、落ち着いた人ばかりで。

京都は、やはり文化都市のトップランナーです。

前田珈琲文博店、旧日銀の金庫室だったのです。この扉の重厚さ!

旧日銀は、実は別館。で、ようやく京都文化博物館の本館へ。こちらは1988年に竣工された鉄筋コンクリート造の昭和建築です。

4階と3階のフロアで大シルクロード展は開催。先ずは、4階から。

今回の催し、なんと、すべての展示物の写真撮影、可能。しかも、SNSでの拡散、希望とな。当初は撮影禁止だったみたいですが、どこからかで舵が切り替わったそう。

私も190点以上にもおよぶシルクロード遺宝の数々に目が眩み、最初は気が狂ったように写真を撮りまくりましたが、そのうち、「写真家でもないのに、みっともない。しかもスマホのカメラって、ド素人が笑わせる、せめて一眼レフ使うならまだしも」と目が覚めました。

ちゃんと目で見て、心に残そう、と。

ですので、ほんとうに気に入ったもの、心に残ったものだけを、写真に納め、掲示することに。

近眼のくせに眼鏡を忘れてしまった息子、目を細めないと対象物が見えないので、目つきが悪くなる。

なんでこんな中国が威信をかけてシルクロードの一級文物つまり国宝を日本に一年間も貸し出している、世紀の博覧会に、眼鏡忘れてくるかな、です。

クチャとは亀茲(きじ)。タリム盆地の天山南路のオアシス都市で、鳩摩羅什の生誕地。この出土品のガラスの杯は、正倉院宝物の伝来品にそっくりです。だから、とても、なつかしい。

これは、胡人、つまり、ソグド人です。シルクロードの通商ルートを担った民族。中央アジアのタジキスタンとウズベキスタンの一部が、今は昔のソグディアナ、ソグド人の故郷なのです。

胡人とは、以前はペルシア人と見なされていたのですが、最近ではソグド人を表すと斯界で認められています。つまりペルシア人を言い表す波斯人と区分すべきだと。