2024年10月26日、この日は一生の想い出の日となりました。
生きてきて、こんなに自然に「幸せ」を感じたことはなかった、本能で「幸せ」と口に突いて出た日は、今日が初めてだったと。
午前は、先週と同じく奈良県吉野郡下市町のKITO FOREST MARKETにて、吉野杉で作るスペシャルな本棚作りのワークショップに参加しました。なお、ワークショップの会場は、2階の図書室だった大き目の部屋。KITOはもともと小学校だったのです。
講師は橿原市の十八製作所さん。今日は、吉野杉の美しい木目を活かした本棚を作ることに。
吉野杉、とても良い香り。板目の年輪模様も、ちょうどいい塩梅。
電動ドライバーを工具として使用するので、初心者の息子、ドキドキ。
先ず下穴を錐のドライバーで開け、木枠の内に黒い抑え棒を噛まし、下穴に黒い綺麗なネジを埋め込む。外枠なので、ネジも飾りになるので。
10月27日が読書の日とのことで、今日26日と明日27日は大和郡山市の特別な本屋「とほん」さんが出張本屋さんを開催されていました。
そもそもKITOの1階の体育館だったキッズスペースの本棚の本は、とほんさんがセレクトされているのです。
先ずは、主人が見本。息子、真剣に見つめています。
息子、苦戦! ネジとドライバーをまっすぐに構えるのがコツ!
背板は本の加重がかかるので、柾目の板を用います。背面なので黒い飾りネジではなく、背板のネジは普通のネジ。
主人は電動ドライバーは日常使いしているのですが、息子のお手本として、ゆっくりと作業。
息子、ドライバーの先がネジの頭で滑るらしい。これは場数をこなすしかない。
仕上げは主人が整え、なんとか完成。40分くらいでできました。
手の当たる箇所の角を、鑢で削ります。これは息子が丁寧に行いました。
「かっこいい本棚」と息子、自画自賛。よく頑張ったね!
森の本棚、すてき! ほんと、高級感があります、さすが吉野杉。
KITOのカフェレストランは大人気ですが、土日祝は敢えて予約は取らないそう。運良く一番良い奥まった席が空いていて、そこに席を勧められて、うれしい!
下市野菜の薬膳カレーと大和肉鶏と下市ハーブのジェノベーゼパスタ。パスタのお皿、赤膚焼ですね、かわいい。カレー、おいしいのですが、育ち盛りには量が足りないな。パスタはジェノベーゼで正解! 麺がモチモチ、こんな濃いーいバジルのソース、なかなかない!
薪火で焼かれたフレッシュトマトのマルガリータのピザ、これは大正解。出されたメニュではピザが一番おいしく、量も多く、おすすめ。
壁に掲げられているのは下市で採れる薬草の押し花です。食材だけではなく、アート作品まで地産地消。
内装や家具に吉野杉がふんだんに使用されているので、どこもかしこも木の香に包まれ、賑やかなのに落ち着くカフェレストランです。
なんて大きなテーブル! これは数名でシェアするのです。たまたまお客さんが捌けて、写真撮影できました。
マルシェの向かい、TAKEOUT STANDはコーヒーやジェラートやクラフトビールが気軽にいただけます。主人は奈良市のロクメイコーヒーさんブレンドのKITOオリジナルコーヒー、私は本日限定の特製レモネード、息子はチョコレートジェラートを注文。
背景は、五條市のショコラ専門店chocobanashiさんのショコラドリンク。
息子が手にしているのは、マルシェで買った野菜。お値打ちなので、たくさん買いました。
KITOの店員さんは、どなたも明るい笑顔でとっても親切です。接客も最高なのです。
ワークショップ担当の店員さんが通りかかられ、「完成品のお写真、お撮りできなかったので、今ここで撮らせていただいて良いですか?」と申し受け、快諾。こんなすてきなロケーションだと、本棚の格が何段階も上がります。
秋野川に沿ったKITOを車窓から眺めて。
豊かな自然に囲まれた美しい校舎。私もこんな小学校に通いたかったな。
この吉野の山村に、たくさんの方々が集うように訪れて嬉しい、そう心から思います。
丹生神社に私は御縁が深いようである。
白洲正子『かくれ里』「丹生都比売神社」
さて、奈良県吉野郡下市町から一時間かけてやって来たのは、和歌山県伊都郡かつらぎ町の天野の郷、紀伊國一之宮丹生都比売(にうつひめ)神社。
ほんとうは、天川村に行こうと思ったのですが、不意に、下市からなら和歌山も遠くない、と思い立ち、丹生都比売神社のことを思いだしたのです。
私は「人生やり残したリスト」にも掲げていたのです、丹生都比売神社をお参りすることは。
天野の郷に降り立って、この美しい丹生都比売神社の光景を目の当たりにした私の口から衝いて出た言葉。
なんてきれい。なんてしあわせ。
この美しい太鼓橋、輪橋(りんきょう/そりはし)は、淀殿の寄進です。先日お参りした吉野山奥千本の吉野水分神社といい、法華寺といい、石山寺といい、淀殿にまつわる寄進の建造物はどれも朗らかで柔らかです。
なお、丹生都比売神社のこの池、寺社の池の名前ではよくある鏡池といいますが、当社の鏡池、江戸時代にほんとうに古鏡が出土しました。それは、人魚の肉を食べて不老不死となった八百比丘尼(やおびくに)が丹生都比売に捧げた神鏡とのこと。
若狭で生まれた八百比丘尼は、たったひとりで生き続けることがあまりにもつらく、死ぬことを望んで丹生都比売神社にお参りしたのです。
念願叶い、人魚の肉を食べさせられてから八百年を経て、八百比丘尼は生まれ故郷の若狭で入定しました。
それまでに八百比丘尼はほうぼうを巡り、忌杖つまり錫杖として地脈に祈りを直に伝えるため、白い多弁の玉椿の花の枝を地に挿し、自らの命が尽きるまで、捨てた鏡の代わりに丹生都比売から預かった花を植えつづけたのです。
八百比丘尼は、丹、辰砂、朱で以て赫赫と、白い椿の花びらに血が通う、そんな夢を胸に懐きながら、能う限り、災厄を祓ったのです。
そう、呪われた八百比丘尼を救えた唯一の存在、丹生都比売の化身として。
天野の郷に降り立った瞬間から、背中に羽が生えたよう。こんな美しく懐かしい土地、ついぞ訪れたことがなかったと。
「ほんまに綺麗やな、ここ」と、主人と息子も呆けたようにつぶやきました。
高野山金剛峯寺は、丹生都比売神社の神宮寺なのです。当社の宮司も「これほど僧侶の方々がお参りしてくださる神社もないのでは」と仰っていました。「ありがたいことです」と。
私の観察の経験上ですが、思索を極めた方ほど天衣無縫で自由闊達な、真のhumanistであります。
固陋で浅薄な、みっともないほど差別的な見識しか持たないmegalomaniaは、疾くと去れ、です。
外鳥居から輪橋が臨めます。丹生都姫神比売社での赤は、赤を重ねた「赫」で表したい。
輪橋の真ん中は、神様だけが渡れます。うっとりする、すばらしい眺め。
この時期、残念ながら橋板の損傷のために閉鎖されていました。
あ、確かに天辺の板が外されている。本来、凍結の恐れのない時期なら誰でも渡ることが許されている橋なのです。
「橋が修繕されたら、また来ないとね」と息子。
禊川にかかる禊橋と中鳥居、そして向こうには楼門。この赫、息を呑むほど、美しい! 禊橋は昨年12月12日に完成したばかりで、双の擬宝珠に麻芋と辰砂がそれぞれ納められ、この橋を渡るだけでお祓いを受けることになるのです。
なお、丹生都比売神社は日本三厄神の一柱で、元寇の国難の際には、あのモンゴル帝国軍まで追い払ったほど強い神様なのです。
丹生都比売は先鋒として堂々と敵に立ち向かう、まさにノブレス・オブリージュ、勇気が具象化したような女神なのです。
振り返って、中鳥居と禊橋、輪橋を臨む。橋にも、鳥居にも、別世界へ至らされる。
さて、室町時代に創建された勇壮かつ高雅な楼門、こちらは拝殿でもあります。
当社は本殿も脇から拝観することができます。珍しい四社造りです。
藤棚を始めとした境内の植樹の豊穣にして端正なこと。この秋のみならず、春にも夏にも、そして冬にもお参りしたい。
懸幕も恐き皇大御神を歳の中に月を撰び、月の中に日を撰び定めて霜月の秋の御門、仕えまつりて申さく。
高天原に神積ります、
天の石倉押し放ち、天の石門を忍し開き給ひ、
天の八重曇を伊豆の道別きに道別き給ひて、
豊葦原の美豆穂の国に美豆け給ふとして、
国郡は佐波にあれども、
紀伊国伊都郡庵田村の石口に天降りまして、
大御名を申さば恐こし、
申さずば恐こき伊佐奈支伊佐奈美の命の御子、
天の御蔭、日の御蔭、丹生都比賣の大御神と大御名を顕はし給ひて、
丹生川上、水分の峯に上り坐て国かかし給ひ、
下り坐て十市の郡、丹生に忌杖刺し給ひ、
下り坐て巨勢の丹生に忌杖刺し給ひ、
下り坐て宇知郡の布々木の丹生に忌杖刺し給ひ、
上り坐て伊勢津美に太坐、
下り坐て巨佐布の所に忌杖刺し給ひ、
下り坐て小都知の峯に太坐、
上り坐て天野原に忌杖刺し給ひ、
下り坐て長谷原に忌杖刺し給ひ、
下り坐て神野麻国に忌杖刺し給ひ、
下り坐て安梨諦の夏瀬の丹生に忌杖刺し給ひ、
下り坐て日高郡、江川の丹生に忌杖刺し給ひ、
返り坐て那賀郡、赤穂山の布気といふ所に太坐て
遷り幸して名手村、丹生の屋の所に 夜殿太坐、
遷り幸して伊都郡、佐夜久の宮に太坐。
則ち天野原に上り坐、
皇御孫の命の宇閇湛の任に
於土をば下に掘り返し、下土をば於に掘り返し、
大宮柱太知り立て奉り給ひ、
高天の原に知木高知り奉り、
朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮に、
世の長杵に常世の宮に静まり坐せと申す。丹生明神告門 にうみょうじんのりと
御大師さま、この地がいかに日本の要か、わかっておられたのですね。
御手水に浮かべられた花は、薔薇。高野山金剛峯寺に収蔵されている、丹生都比売神社の舞楽の装束「薄紅地薔薇反橋文様括袴」は室町時代に制作され、、日本最古の薔薇のテキスタイルデザインといわれています。
ヨーロッパで椿は「日本の薔薇」と呼ばれています。八百比丘尼の椿の花に結ばれていくような。
薔薇も椿も美貌を誇る花。この極めて美しい丹生都比売神社にふさわしい。
ああ、帰りたくない。こんな気持ち、初めて。こんな幸せな気持ちになったのも。
私もここに鏡を捨ててしまいたい。ここで死んでもいいとさえ。
道はいよいよせまくなり、山は深くなって、心細くなるばかりだが、引き返すことはできない。まだかまだかと思ううち、峠を二つばかり越えた所で下り坂となり、いきなり目の前が明るくなった。見渡すかぎり、まばゆいばかりの稲の波だ。こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに「天野」の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原も、こういう地形のところをいったのかも知れない。
周囲をあまり高くない、美しい姿の山でかこまれ、その懐ろに抱かれて天野の村は眠っていた。ずい分方々に旅をしたが、こんなに閑かで、うっとりするような山村を私は知らない。神社はその広々とした野べの、一番奥まった所に建っており、朱塗りの反り橋の向こうに、大きな杉にかこまれて、どっしりした楼門が見えた時には「来てよかった」と私たちは異口同音にいった。
できることならここに隠居したい。桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう。
白洲正子『かくれ里』「丹生都比売神社」
最寄りの道の駅「柿の郷くどやま」にて。九度山は真田家ゆかりの地です。真田幸村の赤備えの鎧兜も、丹生都比売神社ゆかりの「赫」なのです。
主人がいただいた御守、赫赫必勝守。
元寇(蒙古襲来)を退けたご神威と、その神恩感謝として鎌倉幕府が奉納した国宝の銀銅蛭巻太刀拵にちなんだ、必勝と成功のお守りです。
赤い本殿が四社並ぶ様子が赫赫(功績が輝かしい様子)に通じることから、赫赫必勝と称します。丹生都姫神社ホームページ
北条政子が寄進した琵琶もあり、執権北条得宗家にとって丹生都比売神社への威信は当然のように馴染み深いものだったのでしょう。
息子がいただいた御守、厄除け守りと色違いの鳳凰模様。
伊藤若冲が描いたように優美な鳳凰。息子は鳳凰が大好きなのです。
私がいただいた御守、幸せみちひらき守。
幸せへと導く開運招福のお守りです。
当社由来の舞楽装束「薄紅地薔薇反橋文様括袴」(国指定重要文化財)に描かれた、バラと輪橋を意匠に取り入れています。丹生都姫神社ホームページ
社務所でいただいたときには、そのデザインしか目に入っていなかったのです。
だってすでに幸せだったから、この美しい郷、この美しいお宮さんに招き入れられたときには、もう。