2021年1月21日、諸事情により今日は休暇で、午後から西ノ京へ。
先ずは薬師寺、久しぶりです。
3月並みの陽気。梅が三分咲き。しかし、明日からしばらく雨なので、蕾が固まってしまうなぁ。
復興して40年の西塔。だいぶ古都奈良に馴染みました。
東塔! 水煙、凍れる音楽!
10年以上に及んだ修理も終了、3月には特別開扉されます。
薬師寺には移建説と新建説があり、議論は継続中です。私は、最近では、新建説に傾いています。
それでも創建者の持統天皇のespritまでは、払拭不可能ですが。
ご本尊が鎮座まします金堂。昭和の建築ですが、すばらしい。これぞ宮大工の技の結集。
これ以上近くでの撮影は、逮捕です。
薬師三尊像、冷え寂びた月光、包み込む日光、もう、完璧のなかの完璧!
いつもはたいへん偉大に見えるご本尊ですが、今日は等身大に見えました。とても間近に思えたのです。
私に宗教心はありません。
それでも自分の思いを真正面から受け止めてくれる存在が必要なとき、奈良県で生まれ育った私はやはり仏に向かいます。
神道の神々は、自然そのもので、人の言葉は通じない気がするのです。
そう。人の思いは重過ぎる。
不動の存在は、人を超えた者でしかない。
そして、その昔、人であった者だから、仏は人の言葉を懐かしむ。
答えなんか要らないのです。ただ聴いてさえもらえれば。
私が心を明かすのは、人を超えた者にだけ。
両塔並び撮るのは難しい。薬師寺の白鳳伽藍、広大です。
帰り、東院堂の聖観音に必ずお参り。本当に、今朝生まれたような新鮮さと、温かみ。
微笑みながらも堂々たる聖観音は、大津皇子の面差しを受け継ぐ。
この薬師寺は、大津皇子、あなたに捧げられた鎮魂の寺。私はそう信じています。
歴史の道を北上して、唐招提寺へ。
このお寺、私の一番好きなお寺です。
薬師寺ご本尊台座のレプリカ。ギリシアの葡萄唐草文様・ペルシアの蓮華文様・インドから伝わった鬼神・中国の四神、シルクロード由来の最高峰の文様百科。
まさに奈良は、シルクロードの終着駅。
鑑真和上御廟。鑑真さんのお墓です。
誰もいなくて思わず「和上!」と子どもみたいに叫び、御廟まで参道を駆けました。
和上、お久しぶりです、間遠の不義理をお許しください、と心中詫びつつ。
和上の前では、自分のことは何も言えませんでした。
世の中が平和になりますように、それしか口をついて出てきませんでした。
鑑真和上御廟へつづく小径は、日本人の心の故郷にある小径。
唐招提寺境内。すべてがここに収まる、掌中の珠のような、私の天平の想い出箱です。
唐招提寺、ほぼ私で貸し切りでした。
息子へのおみやげ、薬師寺の吉祥天の恵方守り。
NHK教育の音楽番組「びじゅチューン」が息子は赤ちゃんのころから好きで、薬師寺の吉祥天を謳った『その天女、柄マニアにつき』が特にお気に入り。
これは、私自身への慰労。ならまちの気鋭の和菓子司、樫舎(かしや)さん謹製、薬師寺銘菓「白鳳の飛天」。
とても清楚で奈良らしい干菓子。材料は砂糖と本葛だけ。私は薬師寺をお参りしたら、必ずこの「白鳳の飛天」を買って帰ります。この銘菓、薬師寺でしか入手できないのです。
1972年製作のイタリア映画『Fratello sole, sorella luna』、英語名で『Brother Sun, Sister Moon』、私の大好きなアッシジの聖フランチェスコの話です。
薬師寺と唐招提寺、それら古都奈良西ノ京の、太陽の兄弟と月の姉妹。
Brother Sun and Sister Moon,
I seldom see you, seldom hear your tune
Preoccupied with selfish misery.Brother Wind and Sister Air,
Open my eyes to visions pure and fair.
That I may see the glory around me.I am God’s creature, of him I am a part
I feel his love awaking in my heart.Brother Sun and Sister Moon.
I now do see you, I can hear your tune
So much in love with all that I survey.“Brother Sun and Sister Moon” Composition and lyrics :Donovan
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところに赦しを、
争いのあるところに一致を、
誤りのあるところに真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところには喜びを。
ああ、主よ、わたしに求めさせてください。
慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。
人は自分を捨ててこそ、それを受け、
自分を忘れてこそ、自分を見いだし、
赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。『フランシスコの祈り』女子パウロ会