ならだより

2020.5.3 名画の残欠が美しいように美しい 

文豪志賀直哉がとにかく美しいと褒め称えた、寧楽の都、夢の跡。
切れ切れの名画の残欠の美しさに奈良をなぞらえて、うまいこと言うなあ、と思います。

ですが、志賀先生、13年過ごして奈良を離れました。時代に取り残されてしまう、埋もれてしまうと懸念されたゆえ。
これは、実際に奈良に住んだ者にしかわからない掻痒感です。

塗(まみ)れるとか耽(ふけ)るとか浸(ひた)るとかの類い、精神の酩酊を味わうに、志賀先生、あまりにも明晰な方でした。

淡きこと水のごとし。
この、べたべたしない、精錬された姿勢を貫かれた志賀先生が語られる奈良の心象こそ、私の最も好むところです。

2020年5月3日、この日に限らずゴールデンウィークは奈良公園で散歩ばかりしていました。
いつものコース、高畑町から浮御堂までてくてく。

おっす。
側溝から顔をのぞかせるとは。びっくりしたなあ、もう。

仔鹿、発見。鹿を苦手とする息子、仔鹿に手を振りながらも咄嗟に主人の腕を取る。

「奈良公園の鹿は、逃げないねえ」と息子。逃げてほしいのかい、息子よ。

荒池園地の土塀。ここらへん、興福寺の塔頭の遺跡群。

新緑と土塀。神経に障る要素の全くない、古都奈良の素朴で上品な色彩。

人がいない。鹿ばかり。これがゴールデンウィークの奈良公園とは。

「パパ、なんで置いてくの、おらを」

「おら、これ以上は、無理」

「え、なんで鹿たち、おらに近寄ってくるの!?」

手前の鹿、おなかいっぱい、しゃがんで休憩しだしました。奥の鹿たち、お尻のハートの白い毛、かわいい。

必死の息子に鹿の盾とされた主人、「どこ見ても絵になるなあ」と。
まさに、名画の残欠が美しいように美しい、新緑の奈良公園。

頭塔を遠望。玄昉の首塚と言われていますが、どうでしょうか。

散歩の帰りの昼食は、高畑町の「喫茶みりあむ」さんと「そば処 勸」さんで。
みりあむさんも勸さんも、味はおいしく空間は心地良い、飾り気泣く品の良い、奈良らしい、すてきなお店です。

駐車場最寄りの天神社の公園の遊具で息子は一通り遊び、散歩は終了。
これを繰り返し、今年のゴールデンウィークも終了。

鹿に混じって奈良公園を歩いていたら、くぐもった気持ちもだいぶ、晴れました。