ならだより

2020.3.1 いまさらならまち

このoutbreakもしくはpandemicで、奈良公園の観光客ががた減りし、昨年度の10分の1まで落ち込んでいるとか。
奈良大学通信教育部に在籍の各位がスクーリング等で来寧されることも奈良県にとってはもちろん益であり、それもこれも絶たれては。

いや、これは汎世界的不況であって、奈良県だけの問題ではないのですが。

で、いまさら、ならまち、です。
奈良県民として、奈良観光に幾許かの益を落としに行ってきました。

桶? そう、湯桶です。お湯にぷかぷか浮かんでいるのは蛸ではなく、布巾包みのお茶の葉。そして、お湯に沈むは足つぼ刺激の丸石。

手ではありません、足です。お見苦しくも私の足、やたら細くて長い、鰭みたいな趾(あしゆび)、生まれつきです。
半魚人みたいな足をしていますが、私、泳ぎは巧みではありません。

瓊花さん、いったいどこで何を?
なんのことはないです、このとおり、足湯に浸かっております。

……ならまちで?

そう、ならまちで。
ここは奈良市元興寺町の「足湯カフェ 茶の湯」。ごはんやコーヒーを飲食しながら、吉野杉の桶で足湯を楽しめるカフェなのです。

元興寺町、とはいえども、元興寺本堂からは離れているこのカフェ、元興寺小塔跡に近いかな。
私たち親子3人も、ふらふらならまちをさまよって、不意にここへ辿り着けたのです。

今風のカフェと、少し色褪せたようなカフェなら、後者を採るのが私たちです。
食事も喫茶も落ち着いて味わいたいので。

午後1時。昼食の繁忙期が過ぎていたのでしょう、私たちだけがお客でした。

ご亭主、とても良いお人柄。丁寧で親切で誠実。
最初は足湯も息子だけに注文しましたが、あまりにもご亭主の接客の姿勢がすばらしくて、私も主人も足湯を追加。

お香かな、神経に障らないとても良い香りが外まで漂っていて、ふらりと中へ入って、大正解。

玄米ランチ。1,200円。これがもう、おいしくって!
メインの鶏の煮込み、炒り玉子、伽羅蕗、風呂吹き大根、酢の物、豆腐、菜の花和え、茄子の鍋しぎ、お味噌汁、玄米ごはん、お茶まで、ぜんぶ一味何か工夫がされていて、見た目を数段上回る豪華なおばんざい!

無口な主人が「これは値段以上の価値ある」と。「来て良かった」と。
へえ、おべっかは絶対言わない主人がそこまで褒めるなんて。

デザートのヨーグルトもおそらく自家製。
ご亭主は独学で、こんなに上品で豊かな味付けを習得されたそうです。
とっても謙虚なご亭主。以前のお住まいが、なんと我々の現住所の隣町! 話がとても弾みました。

本日のランチの看板。我々がお昼のお客の最後でした。

足湯、とっても気持ち良かった。全身がぽかぽか温まりました。
ならまち散策に疲れたときなど、ほっと一休みにもってこい。

いいお店、見つけました。

お店のお隣、白山神社。神社の境内には、奈良市の保存樹の大銀杏が。実はならないそうですが、樹齢100年の大木で、金色に葉が色づく秋の光景は盛観だそうです。

「また来ます」、そう主人がご亭主に告げました。
主人、こんなこと滅多に口にしないので、よっぽどこちらのお店の居心地が良かったのでしょう。おしゃべりな私がつべこべ述べるより、説得力があります。
「次は、『お帰りなさい』って、お声かけますね」と、ご亭主が主人へ。

重ねて言います。
茶の湯、とても良いお店です。

猫がころころ転がるならまち。いたるところで猫をみかけます。これがまた人馴れした町猫ばかり。
キジトラ猫、兄弟でしょうか。手前の猫、片目がつぶれています。
悪い奴もいるから、誰にでも人懐こく近寄ったらあかんよ、そう告げておきました。

奈良町資料館。ちょっと、いまさら。
しかし改めて見ると、ここの巨大さるぼぼ、kitschですねえ。息子、この空間に釘付け。

あれま、ここは初めて。「ならまち にぎわいの家」。2015年にオープンしたそう。へえ、知らんかった。
うなぎの寝床、奥へ奥へ続く典型的な表屋造です。

中庭の前栽が和みます。
植物も、家屋も、人が手入れをすればするだけ、ちゃんと応えてくれます。

屋根に猫ちゃん。こんな急勾配な瓦屋根でも、滑りも落ちもしないもんだね。

ここは小さなお店が集まる複合施設「ならまち工房」の2階。屋根だけじゃなく、とあるお店の中にも看板猫がいました。

君、よくよく見ると、ふくふく肥えて。それでも屋根から落ちない、滑らない。

猫や犬が大切にされているのは、ほんとうにうれしい。
動物が豊かに暮らせる町は、人間も豊かに暮らせる町なので。

ならまち。
幼いころから通ってきた町で、しかも、なんだかすっかり気軽な観光地に変わってしまって、わざわざ目当てに向かうことも久しくなかったのですが、来てみて良かった。

のどかでのんきな奈良のならまちでも、京阪神の繁華街と同様、お店があぶくのように現れては消え、それでも残るお店は新旧問わず、残る。

生き残ったお店は、ならまちの風景に溶けるがままの自然体です。

私も自然に刃向かうことなく、ふわふわと奈良を、ならまちを、漂ってみようと思います。