群盲象を評すとは、なかなか辛辣なインドの寓話。
盲人の群れがそれぞれ象の一部を撫でて、象とはこんなだあんなだとそれぞれ見解を述べる。
「皮膚は硬い」
「鼻は長く先細っている」
「耳はたいへん大きい」
なるほど、象はその通りの特徴です。
しかし、それが象のすべてではない。
そもそも、そこにいるのは、ほんとうに象なのか?
肝心なのは、象が何であるかより、その象が見えていない、そこなのです。
インド人には敵わない。
こんなこと考えられた日にはもう、手も足も出やしません。
奈良大学通信教育部で学んで得たのは、結局、餅は餅屋ということ。
事務的なことならどんな些末なことでも事務局、勉強の内容についてはそれぞれの科目の担当教官、そちらに体当たりでぶつかるのがベストだということ。
さて、私は学生のころ、国語と古典の成績だけは良かったのですが、それは、答えが長文にすべて書かれているからで、こんな簡単な科目ってないよな、と常に思っていました。
「国語の答えって、ほんまにその答え一つでええんかよ? 疑ってしまうんや」
数学や物理が得意な友人は眉をしかめて、そう私へ問いかけました。
「作者の言いたいことって、きちんと明言されてるもんやで。名作とか名文なら、なおさら」
それが私の返答でした。
私は何が言いたいのか。
私は闇のなかの象みたいなもの、ということです。
そもそも、私は象ではないのです。
皆さんが追うべき象は、皆さんの目の前、テキストにサブテキストに、奈良大学に、きちんとおわっしゃる。
2020年に明日香村で制作した草木染のストール。
色止めのアイロンがけの際に、5個のお花模様の真ん中の模様、李の紫で染めた花模様の芯に、女王のような魔女のような線対称の人型を見出しました。
自然の偶然、すごいです。
回旋舞踏で有名なスーフィ(イスラーム神秘主義)のメヴレヴィ教徒にも似ています。
メヴレヴィの開祖は、私の敬愛するペルシア詩人、ルーミーです。