同じ奈良市内でも、奈良大学ではなく、帝塚山大学の市民大学講座、ケーブルテレビで視聴できるのです。
この講座は、帝塚山大学考古学研究所主催の歴史講座がメインで、私もよく視聴しています。
で、2023年2月25日に開催された、深澤芳樹先生のご講演「春祭りのはじまり」を先日テレビで視聴したのです。
深澤芳樹先生は奈良大学でも、スクーリング授業の文化財学講読Ⅱをご担当されています。
私は勝手に深澤先生を、我が考古学の恩師と位置づけさせていただいています。
2019年のスクーリング以来、久しぶりに深澤先生のお顔とお声をテレビ越しでも拝見拝聴できて、懐かしさと同時に先生の変わらない優しさが伝わり、安堵感に包まれました。
ご講演が終わって明かされたのですが、これは帝塚山大学における深澤先生の最終講義でもありました。
同時に、私にとっての奈良大学の文化財学講読Ⅱの最終講義、とも成り得たのです。
ご講演の内容はもちろん開示しません。
ただ、私がおいおい泣いてしまった深澤先生の結語の抄文を、ここに残します。
これは考古学を志す者には「檄」たるMaxim箴言だからです。
ウクライナのニュースを視るたびに、私は、心が痛む。
私が考古学という人間の歴史を学ぼうと思うのも、人間に希望を持っているからです。
でも、ああいうニュースを視ると、希望が持てない。(中略)
まだ私のなかでは心がくじけているだけで、乗り超えていけるか、わかりません。
皆さんには、きっとすばらしい解答を手にしている人も、いるんじゃないかと思います。いつか機会があれば、教えてください。
これで、おしまいです。
誰が先生から希望を奪ったのか。
何が先生から希望を奪ったのか。
これでおしまい、ではない、先生。
講義の終わりが絶望に重なるなんて、いやだ。
私は先生の弟子だと勝手に自認している。
自負している。
だから先生が泣くと、私も泣いてしまう。
先生がいたから、私の論文は形を成した。
私の考古学へのくらげなす妄想に血を通わせ骨と肉を施し魂を与え息を吹き込んでくれたのは、先生。
東大寺の親子レスパイトハウスとのご縁も、先生あってのご縁。
私はどれだけ先生に希望をいただいたか、はかりしれない。
私が考古学という人間の歴史を学ぼうと思うのも、人間に希望を持っているからです。
これでおしまいではないでしょう、先生。
先生の最終講義の題名は「春祭りのはじまり」、そう、はじまりなのだから。
2023年5月3日、息子のバッシュを買いに京都府精華町のスポーツショップへ。
駐車場で息子が「虹!」と叫び。
見上げると、彩雲と一条の光線が交わり、太陽へ向かって飛翔する鳳凰のよう。
美しい。
美しさには、説得力がある。
鳳凰、火の鳥、不死鳥。
不屈だからこそ、美しい。