幻燈

終わりがあるからこそ、美しい。 ―『トロイ』―

ⒸO-DAN

2021年1月30日、NHKで山口百恵さんのラストコンサートが放映されました。
こんな浮き浮きしてテレビに向かうなんて、まるで昭和の時代のようでした。

百恵ちゃんは70年代の大スタア。
70年代生まれの私はリアルの百恵ちゃんを正直あんまり覚えていないのですが、それでも大阪ミナミで映画『古都』の大きな大きなビルボードに魅せられた記憶があります。

『古都』『絶唱』『潮騒』『伊豆の踊子』『エデンの海』『ホワイト・ラブ』等々、百恵ちゃんの歌より百恵ちゃんの映画のほうが、私はよく見知っているのです。

それにしても、なんて歌がうまいのだろう、百恵ちゃん。
そんな当たり前のことに、ため息。
心をこめて歌っているのに、ちっともべたべたしていない。
無欲恬淡としているのに、想いの熱さは伝わる。

「みんな健康でいて。それが何より」と百恵ちゃんが幕間に語っている姿に、ああ、わかった、なぜこの人の歌がこんなにも透きとおっているのか、と悟った私。

百恵ちゃんは、自分のために歌っていない。
お母さんのために、家族のために、自分の歌を愛してくれる人のために、いつだって誰かのために、歌ってきたのだと。

だからこんなにもこの人の歌は、この人は、欲がなく、強く、優しいのだと。

涙が出ました。

その翌日、王寺駅から車で5分、河合町の映画館イオンシネマ西大和へ。
ここはいつもだいたい空いている、奈良県の穴場の映画館。

何を観るのか?
劇場版『鬼滅の刃』無限列車編です!
今頃!

「ママ絶対、煉獄に夢中になるよ」
息子から小突かれましたが、言われるまでもない。炎柱の煉獄杏寿郎、私はああいう、強きを抑え弱きを扶く、そんな心の綺麗な男が、一番好きなのですから。

老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。
老いるからこそ、死ぬからこそ、堪らなく愛おしく、尊いのだ。
強さというものは、肉体に対してのみ使う言葉ではない。

煉獄さんがそう言い放ったとき、ブラッド・ピット演じる映画『トロイ』のアキレウスと重なってしまい。

Troy ⒸWolfgang Petersen

I’ll tell you a secret……something they don’t teach you in your temple.
The gods envy us. They envy us because we’re mortal.
Because any moment might be our last.
Everything’s more beautiful because we’re doomed.
You will never be lovelier than you are now.
We will never be here again.

秘密を教えてやろう……神殿では教えてくれないことを。
神々は羨んでいる、限りある人の命に。
いつ死ぬか、わからない。
終わりがあるからこそ、美しい。
おまえの愛らしさも、今が盛り。
俺たちに今は、二度と無い。

上記、アキレウスがトロイの巫女ブリセイスに語りかけたものですが、なんとなく、物語の冒頭でアキレウスが母である海の女神テティスから言い含められた忠告を意趣返ししたもののように思えました。

只人として生を全うするか、死んで1000年語り継がれる英雄となるか。

息子に乳も与えず海に帰った女の呪いなんか、どうでもいい。テティスはアキレウスを不死身にするため火で炙り、その様をアキレウスの父のアイギナ島の王ペレウスに見咎められるや否や、息子を捨てて出て行ったのです。だから、赤ん坊のころからアキレウスは半身半馬の賢者ケイローンに育てられたのです。だから、母よりよほど、息子は道理を弁えているのです。

どこでどう生きて、どこでどう死んでも、アキレウスは英雄です。

俺は俺の責務を全うする。

胸を張って生きろ。

己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、心を燃やせ。
歯を食いしばって、前を向け。

俺は信じる。君たちを信じる。

母上、俺はちゃんとやれただろうか。やるべきこと果たすべきことを、全うできましたか?

全うできたよ!
煉獄さん!

息子の学校の紙ファイル。
表紙に何を描いてもいいのです。
煉獄さんとその敵の猗窩座。
猗窩座もすごく良かった、煉獄さんの実力をリスペクトして鬼にスカウトに来たのですから。

みじめな闘いではなかった。
だから、カタルシスが残った。

『鬼滅の刃』のメガヒットの理由は、敵も魅力的だったから、登場人物すべてに作者が息を吹き込んでいたから、でしょう。
まさに、In Spiritです。

百恵ちゃんと煉獄さん。
昨日今日と、無欲な人がどれだけ強く優しいか、身をもって私に教えてくださった。

私は薄汚れてしまったな。
それでも『論語』の殺身為仁、己を殺して他者のために仁を為す、そんな清廉な人々を敬う心は残っていると、自負します。