書架飛鳥へ

心の底から人を愛し、花を愛し、人生を愛して。あなたはそれができる人だ。 ―長岡良子 古代幻想ロマンシリーズ―

長岡良子 古代幻想ロマンシリーズⒸ秋田文庫

長岡良子さんの古代幻想ロマンシリーズ、10代のころ、愛読していました。主人公は、藤原不比等。彼を中心に飛鳥時代の歴史絵巻が蜘蛛の巣のように広がっていくのです。それも、当時の一次資料を蔑ろにせず、時代考証も綿密に、登場人物誰一人も侮ることなく、それでいて、宿命の悲しみと夢幻のしなやかさを織り交ぜ、戦慄するほど繊細で美しい物語を紡がれていたのです。

ただ、長岡先生の作品群、歴史、特に飛鳥時代の歴史は天皇家という一つの家族の生死を見張る物語でもあり、その家族間での嵐、トーマス・マン的な重厚かつ濃密な家系図を辿る行為は、神経に刺さるほど悲しく私を痛めつけるものでもありました。

そして、全世界が敵だった10代のころを歴然と呼び覚ます世界でもあったため、長岡先生の作品群を手放さないとおとなにはなれない、そう思い込まずにはいられなかったのです、私は。

しかし、ポンパドールピンクさんが「長岡先生の作品があったから、私は希望を持てた」と仰ったとき、何か私の意識で氷解するものも、あったのです。

長岡良子『眉月の誓(下)』Ⓒ秋田文庫

正倉院展の観覧を終え、帰宅すると、ネットで手に入れた長岡先生の文庫本が届いていて、飛鳥から奈良、天平時代へまたも連れ戻されてしまいました。

そして、子ども時代へと。

長岡良子『眉月の誓(下)』Ⓒ秋田文庫

草壁皇子の逝去、妃の阿閉皇女が声もなく亡き夫を懐くように覆い縋る、そのたとえようのない切なさ、子どものときと同じように涙があふれてとまらなくなりました。草壁皇子がどれほど愛された人だったかは、万葉集に残された歌を読めばわかります。持統天皇だけではなかったのです、草壁皇子を愛し、惜しみ、慕ったのは。

ここには挙げませんが、堂々と刑死を受け容れる大津皇子、無慚に連座される幼い粟津皇子、夫と息子の後を追って裸足で駆け出し自死する山辺皇女、その憐れな妻子の最期、私は子どものころ、それら本屋で立ち読みしていて、あまりにもつらくて、つらくて、本屋を飛び出すなり自転車を立ち漕ぎ、泣きながら家路に着いた記憶があります。

誰もいない田舎道、夕陽が沈む二上山を見つめながら。

このときばかりは、この地に生まれ育ったことを悔いました。

あまりにも悲しくて。

けれども泣くだけ泣いたら、あなたは新しい一歩を踏み出さなければならない。あなたの人生は始まったばかりなのだから。

私のように一つの恋を失ったからといって、徒(いたずら)に時を過ごしてはいけない。真実の恋は一つだけだと、思い込んではいけない。

心の底から人を愛し、花を愛し、人生を愛して、この世に生きる喜びを高らかに謳い上げるのです。
あなたはそれができる人だ。

心の底から人を愛し、花を愛し、人生を愛して。
あなたはそれができる人だ。

長岡良子『晩蝉(ひぐらし) ―夏の相聞―』

死にゆく穂積皇子から若い大伴坂上郎女へ、生きてほしいとの遺言。

悲しいだけではなかったと、私も思い出した。

心の底から人生を愛して。

ⒸO-DAN

夏野乃繁見丹開有姫由理乃不所知恋者苦物曽

夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ

夏草の繁る野の底に咲いている姫百合のように、人知れず思う恋はつらいものです。

大伴坂上郎女『万葉集』8-1500

家尒有之樻尒鏁刺蔵而師恋乃奴之束見懸而

家にありし櫃に鍵刺し蔵めてし恋の奴のつかみかかりて

家にあった櫃に鍵をかけてしまっておいた恋の奴めが、つかみかかって来て――。

穂積皇子『万葉集』16-3816

恋〻而相有時谷愛寸事藎手四長常念者

恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき言尽くしてよ長くと思はば

長く恋いつづけてやっと逢えた、その時だけでもせめてうれしいことばを尽してください。この恋を長くとお考えでしたら。

大伴坂上郎女『万葉集』4-661