厳しさと温もりが綯い交ぜの感覚を呼び覚ますのは、2012年の大河ドラマ『平清盛』のラスト、平家の血統を絶やさないため投降した清盛の弟の頼盛が、「独り生き残って後悔しないのか?」との源頼朝の問いに、「平家は常に一蓮托生」と笑って答えた、あのとき。
この『平清盛』は放映時には人気がなかったようですが、時代考証も人物描写も美術も演出もすべて私には最上級の絵巻物でした。記録より記憶に残る、本物の傑作でした。
とくに、保元の乱で「悪左府」藤原頼長が非業の死を遂げたとき、彼のかわいがっていた鸚鵡が「ちちうえ、ちちうえ」とうめき鳴き、藤原摂関家の存続のために最愛の息子を見捨てるしかなかった頼長の父関白とともに、私も号泣しました。
なぜ一目、会うてやらなんだか、わが子よ。
ああこれは1991年の大河ドラマ『太平記』で、息子北畠顕家が高師直に討死したときの父北畠親房の錯乱ぶりと双壁だ、と。
世の荒波を渡るしかない男同士として、父の息子への愛は、建前を突き破る本心が後を引くのです、これ以上もなく悲しい余韻として。
一蓮托生。見るべきほどのことは見つ。私はやっぱり、平家贔屓です。
源氏はもう、血で血を洗う、みなごろしの世界観が、つらいので。
十代のころ能楽に嵌ったのは、誇り高く心優しい平家の公達の存在あってこそ、でした。
みんなで華々しく生きたから、みんなで華々しく死んでいく。
死にざまは、生きざまです。
人は、咲いたように、散るのです。