飛鳥へ

世間虚仮、唯仏是真。すべて無駄、それでも生きてゆく。 ―私の『日出処の天子』論―

『日出処の天子』 Ⓒ山岸凉子

あれはコロナ禍の盛り、2021年でしたか、女性対象の匿名サイトの『山岸凉子作品好きな方』というトピックに参加して、遊んでいました。
この手のサイトは玉石混交ですが、ときに玉どころか金脈まで見つけられるので、侮れません。

山岸凉子先生の『日出処の天子』を10歳のときに初めて読んだ途端、私の人生のコンパスの針は固まってしまい、それは狂った、と表現しても的外れではありません。

以下、私の書き込みをメモしました。
自分なりに一山越えた気がしたので、私のなかの聖徳太子、厩戸王子への想いに。

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奈良県出身で、ずっと奈良県住まいの者です。
『日出処の天子』の功績は、蘇我氏の悪行が後世に作成されたものであったかもしれないと人口に膾炙してくれたところだと思っています。
馬子の辣腕政治家としての魅力、毛人(蝦夷)の一歩身をひいた姿勢の意味深さ、そして入鹿のまっすぐで健やかな高貴さ、山岸先生が描く蘇我氏の男たち、歴史の真実に近い気がします。

馬屋古女王、あれは厩戸王子の圧し殺した本能だと思います。だから、封印して、焼き滅ぼしたのだと。狂言回しの入鹿の存在、これも歴史の先を読ませて、悲しかったですね。
山岸先生は引き算が上手で、作品でも余計なことを語らず、読み手に想像の余地をたくさん与えてくださる、そこがいい。

パンデミックが終息したら、斑鳩や飛鳥に散歩に向かうつもりです。
皆さん、山岸先生のファンの方々と一緒に行きたいくらい。
ご案内しますよ、どこまでも。

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厩戸王子が美郎女に語っていましたね、「すべて無駄なことだ。すべて無駄なこととわかっていて、それでもわたしは生きてゆく」と。
初めて読んだときは小学生でしたが、それでも何か、頭を殴られた気がしました。
これが「少女」漫画だったのですよ。

本能を全力出し尽くせる存在は、おそらく世界を容易に破滅させるのでしょう。だから、王子は最愛の息子の山背ごと馬屋古を葬った、みずからの手で。
しかし王子は世界を救ったわけではなく、自分の始末を自分でつけた、それだけなのでしょう。

世間虚仮、唯仏是真。
聖徳太子の残した言葉です。
すべて無駄、それでも生きてゆく。

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厩戸王子は実母を捨て(独立という形で)、額田部王女の庇護に下った。
この額田部王女は、厩戸王子の非常さを気取っていたけれど、それもすべて呑み込んで、王子が死ぬまで王子と歩みを共にした。本当に、母親みたいなものです。
器の大きな子どもには、それこそ豪胆な両親でないと、子どもは歪んでしまうのでしょう。
蘇我馬子と額田部王女が、厩戸王子の精神的な両親となったのかもしれません。

間人王女が毒親っぽいエピソード、丹後半島の鬼伝説に隠されています。要するに、「母」である以上に「女」だったのだと。同母兄弟の穴穂部王子とも実は男女関係にあったかも、との説もあり。実際、間人王女は、義理の息子の田目王子と結婚までしました。
あと、弟の来目王子のエピソードにも、彼が良い意味でも悪い意味でも女性に弱いという要素がふんだんで、それから可愛いげのある存在にまで脹らませられたのかな、と。

『日出処の天子』には、妄想などではなく、きちんと論拠を証明できる堅牢な土台が備わっています。
日本史上初の女帝と認められた存在だけはあるのですよね、額田部王女は。

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このトピック、投稿数がすごく伸びていて驚きです。しかも皆さんご慧眼で、良質な語り場になっていますね。

435さん、ぜひコロナが終息しましたら来寧(奈良を訪れること)してください。奈良県内の歴史保存区は本当に「昼は人が作り、夜は神が作った」の気配が今も満ち満ちています。

私事ですが、奈良大学通信教育部に在籍して、文化財歴史学を学び、拙い勉学備忘録ブログを書き続けています。
連絡先、ブログのコメント欄は安全面から閉ざしているのですが、奈良大通信のスクーリング時期にはそこら辺り彷徨いていますので、ご縁がありましたら。

考古学や史学は、私の一生の楽しみです。
すべて、『日出処の天子』が始まり、でしょうね。

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私は実家が二上山の麓の町で、蘇我氏や葛城氏の文化圏で生まれ育ちました。
山岸先生が、蘇我宗家が滅んで以降の天皇家を取り上げられなかった、それも感慨無量です。
蘇我宗家は、入鹿は、実は天皇位に在ったかもしれないので。だから、持統天皇は自分の蘇我氏の血を大事にしたのだと。

入鹿暗殺は、聖徳太子の伝説の終焉でもあります。
すべて無駄なことのようで、その無駄が残酷とも美しいとも思えます。

597さん、ぜひ飛鳥斑鳩の地を踏んでみて、無常の風に吹かれてください。
生きよう、と思いますよ。

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別冊太陽のムック本『山岸凉子『日出処の天子』古代飛鳥への旅』を書棚から引っ張り出してきました。
巻末の山岸先生へのインタビューがすべての種明かしみたいで、奮っています。

あの頃は報われない愛を描くことになんの罪の意識もなかった。(中略)軽々しい救いは滅多にないもので、ああしか描けなかったことを後悔していません。
毛人は「求めるだけの愛では成就しない」
中略)、なぜそれが(王子に)言えるのか、彼は充分親に愛されて育ったし、なにより布都姫がいたから。愛を成就した人でなければこのせりふは言えないだろうと。それを言わせるために布都姫と一緒にさせたのです。

愛を成就させれば、厩戸王子は「神」になってしまう。最後まで欠けを満たそうと求め続ける「人間」として、山岸先生は王子を描いたそうです。
だからあの結末は最初から決まっていた、とも仰っています。

私は、毛人が布都姫に惹かれたのは、布都姫が毛人のお母さんに似ていたからだと思っています。
布都姫と毛人の母の十市郎女は、異母姉妹でした。

『日出処の天子』は、近親姦というか、自己愛というか、人間が根源的に何を求めているのか、いやでも考えさせられる大傑作だと思います。

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>>711
>>1194
ご返信ありがとうございます。
お二方とも、ぜひいつか、来寧ください。
神話と伝説しかない奈良県ですが、それで最高だと自負しております。
私のブログ、パフェの記事、 今井町の「うのまち珈琲店」のクレームブリュレパフェでしょうか。

山岸先生の作品はほぼ読破しているつもりで、 どの作品にも一家言を持っていますが、 やはり厩戸王子の絶対の孤独には及ばないのです。

ここは出だしから良質なトピックの香りがしました。
閉塞したパンデミックの現況にあって、 しばしですが夢幻に遊べ、うれしかったです。

ここは山岸先生のファンの皆さんの語り場。
お邪魔できてほんとうに楽しかった。
皆さんに幸あれ、です。