飛鳥へ

一生に一度の歌を歌え ―貴公子 藤原広嗣―

小灘一紀『神々の微笑』 ⒸAtelier Konada

此花乃一与能内尒百種乃言曽隠有於保呂可尒為莫

この花の一よのうちに百種の言そ隠れるおほろかにすな

この花の一枝の中には数えきれぬほどのことばがこもっている。いい加減に思うな。

藤原広嗣『万葉集』8-1456

此花乃一与能裏波百種乃言持不勝而所折家良受也

この花の一よの内は百種の言持ちかねて折らえけらずや

この花の一枝は、それほどの多くのことばが持ちきれなくて、折れてしまったのではありませんか。

娘子『万葉集』8-1457

藤原広嗣が『万葉集』に唯一残した歌。
悲劇を邁進した貴公子にふさわしい、まっすぐで凛々しい相聞歌です。

この花とは、桜の花。
広嗣は想い人(身分の高くない娘かと)へ、ふんだんに咲き誇る桜の一枝を捧げ、それに我が意を籠めたのです。
瞬時に広嗣の真心を咀嚼して歌で返す、その賢さ潔さ、伝わる名は無くとも桜の化身のような想い人だとわかります。

この恋は叶えられたとの解釈に、私は与したい。
折れたのは、想い人の心でもあったのだとして。

小灘一紀『櫛名田比賣命 水鏡』 ⒸAtelier Konada

もしそれが一生に一度の恋ならば、もはや運命と呼ぶしかない。

不比等の孫の広嗣、命を賭けて時代を駆け抜けていった。

人生でたったひとつの歌を歌って。