社会人類学の大家レヴィ=ストロースの、弁当箱くらいブ厚い著作を繙く。
しかし、翻訳の先生に恵まれているとしても、レヴィ=ストロースの語り口は、とても優しく、あたたかい。
たとえその言っている内容がぶっ飛ぶほどの「野生の極み」であったとしても。
アジアで私を恐れさせたものは、アジアが先行して示している、われわれの未来の姿であった。
世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるであろう。
クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
もし日本文明が、伝統と変化のあいだに釣り合いを保つことに成功するならば、そして、世界と人間のあいだに平衡を残し、人間が世界を滅ぼしたり醜くしたりするのを避ける知恵を持っているならば、つまり日本文明の生んだ賢者たちが教えたように、人類はこの地球に仮の資格で住んでいるにすぎず、その短い過渡期的な居住は、人類以前にも存在し、以後にも存在し続けるであろうこの世界に、修復不能な損傷を引き起こすいかなる権利も人類に与えていない、ということを日本文明が今も確信しているならば、もしそうであれば、この本が行き着いた暗い展望が、未来の世界に約束された唯一の展望ではない、という可能性を、わずかにではあれ、私たちはもつことができるでありましょう。
クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
日本人へのメッセージ
レヴィ=ストロースは親日家でした。
我々極東の島国の住民を、神話の世界を当たり前のように生き、遊び心と独創性に満ちた日本人を、欧州の美意識に培われた出自である反面、パリのユダヤ人として交叉イトコ婚の両親から生まれたレヴィ=ストロースは、一言、「わかろうとした」のです。
中国生まれの汎用鋸やさまざまな型の鉋にしても、六・七世紀前に日本に取り込まれると、使い方が逆になりました。職人は、道具を向かって押すかわりに自分の方へ引くのです。物質に働きかける行為の出発点ではなく到達点に身を置きますが、これは家族、職業集団、地理的環境、そして、されに広げれば国や社会における地位によって外側から自分を規定する根強い傾向にあります。
クロード・レヴィ=ストロース『月の裏側 日本文化への視覚』
父方交叉イトコ婚より母方交叉イトコ婚がなぜ望ましいのか。
ちなみに、交叉イトコ婚は、親の異性の兄弟姉妹の子どもと結婚することです。
一方、平行イトコ婚は、親の同性の兄弟姉妹の子どもと結婚することです。
平行イトコ婚は、血の袋小路のように忌まれています。
なお、父方交叉イトコ婚も、中国やチベットではそれは「血の帰り」で「骨に穴が開く」として忌まれています。ただし、ここでの禁忌は生物学ではなく社会学での禁忌です。
なんでか?
それは、ぜひレヴィ=ストロースの著作を繙いてください。
すべては交換である。それも「女」の交換である。
クロード・レヴィ=ストロース『親族の基本構造』
男の夢は、潰えた現代なのでしょうか。
男が交換されていた、原始母系社会もあったのでは?
いや、それは私の個人的な夢ですが。
いずれの神話も人が自分とのあいだでだけ生きていける甘美な世界、社会的人間には永遠に与えられることのないその幸福感を、過去か未来かの違いはあれ、等しくたどり着けない果てへと送り返しているのである。
クロード・レヴィ=ストロース『親族の基本構造』