2024年8月13日、「万葉挽歌(レクイエム)-人形からみる古の奈良-」を観覧するため平城宮跡歴史公園へ。永瀬卓さん制作の人形について、奈良倶楽部さんのホームページで知って以来、念願のお目見えでした。
平城宮跡歴史公園へ向かう前、所用で東大寺転害門の正面の道を通った際、聖武天皇と光明皇后の陵墓に辿り着きました。陵墓を向かって右手に進めば、松永弾正の多門城へつながります。
私の奈良大学通信教育部の卒業論文は、聖武天皇と光明皇后なくては成り立たないものでした。偶然とはいえ、お二人にお礼参りが叶い、嬉しい限り。
平城宮跡歴史公園の平城宮いざない館。会場前では有間皇子が出迎えてくれました。
会場入り口には『明日香風』の銘のお人形。なんて繊細で美しいのか。
作者の永瀬卓さんは、定年退職後に独学でこれらの飛鳥時代の登場人物ゆかりの人形制作に勤しまれました。
私の拙い撮影で、永瀬さんの作品の真価を崩したくないので、なんとか表に出せる写真だけ、ここに掲載させていただきます。
ちなみに、SNSでの拡散を主催は希望されていましたので、私もこころゆくまで紹介させていただくことに。
有間皇子の座像。処刑される前の、最後の食事。
額田王の立像。圧倒的に美しかったです。この像だけ、360°全方向の観覧を許されていまして、それだけの傑作でありました。個人的に、永瀬さん制作の人形群の中で、この額田王が最も美しいと思いました。
額田王の娘の十市皇女の立像もありまして、さすがに母娘なので似通ってはいるのですが、自死したともいわれる十市皇女の表情には薄青い影が落ちたようで、翻って、娘に先立たれた額田王も光ばかりの人生ではなかったのだと思い到らされました。
穂積皇子と但馬皇女。二人の間に隔たる距離。それでも、それだからこその想い。
なんて美しい皇子と皇女なのか。罪びととは思えない。罪とは、いったい、なんなのか。
よもやここで私の産土の風景に出逢えるとは。
ふたかみやまのふもと、死にゆく大津皇子を悼む大伯皇女。
辞世の句をしたためる大津皇子。最期まで正々堂々とした人物だと。
悲しみに貴賤はないのだと。この世に生まれ落ちた者すべて、悲しいのだと。
大津皇子の妃の山辺皇女。この、表情。この、手。
ああ、実物の表情がどれほど切なく儚げか、どれほど胸を打つか、伝えられない、もどかしい。
裸足の皇女。
彼女は裸足で亡くなったのです、夫の後を追って。
春の女神の佐保姫。あどけない瑞々しさ。
秋の女神の龍田姫。たおやかな落ち着き。
天宇受売命(あめのうずめのみこと)。神々は晴れやかなものです。
万葉集に心惹かれたのは、挽歌がきっかけだった。
特に、悲劇的に亡くなった人の魂に寄り添いたいという想い、それだから、いい加減に作ってはいけないと戒めになっている。恐怖の中で過ごした有馬皇子の孤独、愛する人を亡くした大伯皇女の喪失感の深さを表したいというのが二大テーマ。
永瀬卓「奈良倶楽部通信 PART:III」
中田文花さんのSNS投稿で盛り上がって、展示開催を望む声も大きく、何より私達も実際にお人形を見たい、それも奈良でという思いを強く持っていましたが、中々実現に至りませんでした。
作品がデリケート過ぎて美術梱包でないと運搬できないということも要因の一つ。
そんな中で、何としても実現したいという強い気持ちで動いて下さったのが、当時「奈良文化財研究所(奈文研)」の展示企画室長だった岩戸晶子さん。(岩戸さんは今年度より奈良大学教授です)
土の中から発掘したものを扱う「奈文研」が、個人が趣味でつくった人形を展示するのは初の試みで、初めてだからこそのご苦労も多々あったと思います。
人形の作品展ではなく視点を変えて、永瀬さんの人形の世界観を通して「古代の奈良の歴史を知る展覧会」を実現しようと、2年の歳月をかけて公的な企画展へと奔走された岩戸さんのご尽力たるや!本当にありがとうございます。奈良倶楽部オーナー「奈良倶楽部通信 PART:III」
メインビジュアルのお人形は「藤三娘」つまり光明皇后。
すばらしい展覧会でした。たくさんの偶然が必然を呼び起こしたのです。
奈良女子大学の「復元楽器プロジェクト」とピアニストの榊原明子さんによるBGMがとってもとってもすばらしく、ミュージアムショップでCDを購入しました。11月にネット販売も開始されるそうです。
榊原明子さんの作品、YouTubeで見つけました。またひとつ、すばらしい出逢い。