2021年2月6日、息子とふたり、所用で奈良市街へ。用はすぐ済んだので、興福寺と東大寺を学外授業感覚で訪ねてみることに。
興福寺へ向かうには、私なりのコースがあります。
近鉄奈良駅から歩いて3分、東向商店街の街頭テレビと小路谷写真館の間の坂道に着きます。この名もなき坂道をてくてく。
すると、左手に興福寺の塔頭の北円堂、正面に中金堂と東金堂と五重塔、右手に南円堂と三重塔が現れ。
こっちの道順のほうが、大宮通りや三条通りから向かうより、気軽かつパノラマが素晴らしいのです。
息子、南円堂の売店で鯛みくじに釣られる。自分のおこづかいからだから許してと。
「ママ見て大吉! 何年ぶりかな!」
良かったね~、鯛も喜んでいるような。
とっても良い天気で、中金堂もフライヤーのように綺麗に撮れました。
暑いくらいの晴天。五重塔の水煙も青空にくっきり。
しかし、土曜日でこの陽光でも、ご覧のとおり、人足は疎らです。
急遽、阿修羅に会うことにしました。いや、校外学習なら当然の選択か。
中金堂鎮壇具、木造金剛力士立像、銅造燈籠、華原磬(かげんけい)、阿南が美しい脱乾漆造十大弟子立像、阿修羅が白眉の脱乾漆造八部衆立像、そして、飛鳥山田寺如来像の銅造仏頭。
山田寺創建者の蘇我倉山田石川麻呂の孫である持統天皇の指示でおそらく作成されたはずの、白鳳仏の代表、その残欠です。
高さ5mの木造千手観音菩薩立像を軸に、ぐるりと国のお宝が犇めく館内。
ライティングがとても柔らかく寧楽の古都の仏像たちを照らし出し、特に少年たちの群像である八部衆の健気さを円やかに切り出しています。
数年前この国宝館を訪れた際、私の隣、英語圏からの女性がため息のように「What beautiful boys」と吐露され。
まったく同感。
阿修羅の真摯な表情は、懺悔(仏教では「さんげ」と読む)を表したもの。
さても、八部衆の少年の容貌は皆似ています。皆、少年の若さで自分を見つめなおしているのです。これを美しいと言わずして、です。
私の仏像史観が奈良時代で終わってしまっているとしたら、それはすべて八部衆、なかでも阿修羅のせいでしょう。
昼食は息子にせがまれ、東大寺門前の黒川本家へ。昨年の8月以来、半年ぶりです。
季節の葛あんかけ丼セット。この時期は天ぷらの吹き寄せです。
ここの本葛は最高級品。葛料理がすでに、品があって、つつましくて、奈良らしい。
「ほかのお店も、たまにはどう?」と私が唆しても、「おらはここがいいの」と息子断言。
息子は黒川本家命、なのです。
デザートはメニュにセットのミルクティと黒胡麻葛饅頭と、ランチセットを注文した人限定に値下げサービスされる葛餅。
葛餅は作り立てでしか提供できない、繊細なお菓子です。
私はこういった氏素性が明確な、素朴なようで贅沢なお菓子が大好き。
腹ごなしに東大寺へ。
「こっち向いて」と言ったら、仔鹿がこっちを見てくれました。
南大門から大仏殿を覗く。天気が良すぎて、写真が白焼け。
「もー、まぶしい、ここイヤ!」と息子、ブー垂れる。
なんだよ、文句の多いモデルだな。
大仏殿から西、戒壇堂を目指します。東大寺の境内で、ここらあたりが最も心地良いかと。
この道は、私たちがボランティアで参加している奈良親子レスパイトハウスへ向かう道でもあり。
「コロナが終わるまで、レスパイトハウスにも行けないね」と息子、しみじみ残念がって。
「でも、つながっているよ、レスパイトハウスとは」とも息子。
鹿がたくさん寄っているというのも、さっきその道を通り過ぎた車の窓から餌が撒かれたから。
背高のっぽの紅梅、三分咲き。順当な春へのきざはし、その一歩。
戒壇堂。昨年2020年7月より向こう3年間、工事のため拝観停止です。その間、有名な四天王像は東大寺ミュージアムで拝観できます。
苦み走った広目天、俳優の綿引勝彦さんにそっくりといつも思っていました。綿引さん、映画『敦煌』の無頼漢役、とっても良かった。ご冥福をお祈り申し上げます。
写真家入江泰吉さんの旧居。こぢんまりして、なつかしくて、住みたくなるお家です。
でも住む人を選ぶなあ、このお家は。
右手奥、戒壇堂とその石段。入江さん、東大寺に住まっていたようなもの。
道を南下すると、名勝依水園へ。奈良の春日の山並みを借景にした、見事な庭園です。
その横、名庭吉城園。元は興福寺の塔頭でした。
ここは一見、依水園の陰に隠れた感じ、どっこい、すっばらしい名庭です。しかも、入園料無料、です。奈良県が持ち主とはいえ、太っ腹。
興福寺国宝館で買ったお土産。阿修羅のマグネット、小冊子『阿修羅のこころにふれる旅』、国宝館の100円パンフレット。
パンフレットが特におすすめです。一つのお宝を一頁で紹介するよう、的確にまとめてあります。
小冊子は息子が欲しがりました。子ども向けのイラストメインの本、光明皇后がどれだけ母橘三千代を心のよすがにしていたのか、よくわかりました。
偉大な母を亡くした娘はその心の空虚を、健気な仏像群で埋められたか、定かではありませんが。
ふざけて奈良大学通信教育部の学外授業を追っていますが、リアルにスクーリングとして寧楽の古都を訪れるには、行く手に白い靄がかかっています。
懺悔が散華として昇華される、そのいつかを見据え、これからも自省していきます。