2020年2月23日、天皇陛下誕生日に訪ねた、奈良県西南部の五條市のレポートです。
私のSentimentalな冬の旅、です。
奈良県五條市、五新鉄道、まぼろしの廃線跡があります。
このとおり、国道168号線のためにぶったぎられたコンクリート橋。
何か、こちらまで、えぐられるようです。
廃線、ですらないのかもしれない。
奈良県五條市と和歌山県新宮市を結ぶ路線、構想から工事凍結まで60年、ついに一度も列車が走ることなく望みを絶たれた路線なので。
私はこの五新鉄道跡のすぐ近くのリバーサイドホテルの温泉に子どものころから通っていました。
しかし、五新鉄道跡は訪ねたことはなく、主人がたまたまその近くの風雅地区の五條新町行きを願ったことから、「よし、五新鉄道、きちんと訪ねよう」と思い立ったのです。
なんで行きたくなかったのだろう。
子ども心に、あの切断されたコンクリート橋に惧れを懐いていた、それは事実。
私の親族も、温泉からすぐそこなのに、五新鉄道跡には見向きもしませんでした。
親族には五條や吉野に知人がいたことが、いろいろ示唆することなのでしょう。
知っている者にしかわからない痛み、なのでしょう。
「ママ、猫ちゃんだよ!」
ホテルのほうを向き、息子叫ぶ叫ぶ。
お、確かに白猫ちゃん。むむ、めちゃこっち見たはる。すまん、縄張りに入ってしもた。
白猫ちゃんじっくり眺めたら、真っ白じゃなく、額のブチ、センター分け、日本髪? 尻尾も黒くて特徴あるね。
うん、目を凝らすに殺気だったものはなく、固まっているのかおとなしく、お地蔵さんのような猫でした。
国道168号線から五新鉄道跡のコンクリート橋に沿って東へ。
そこから北、五條新町通りとなります。
吉野川(紀ノ川)沿いのこの地域はもともと川を利用した商いで開けていました。
そこを、戦国時代、二見城主に封じられた松倉重政が城下町として発展させたのです。
うわー、すてき。
美しい江戸時代からの町屋が並びます。
まちや館。
吉田茂内閣で法務大臣を務めた木村篤太郎の生家です。庄屋さんだったそう。
芸術イベント「アカネイロアート」が開催されていました。
ブラウン管テレビ、囲炉裏、畳の縁、金のマークに聴診器を当てると音が聞こえてきます。
音のアートです。
階段箪笥にも金のマーク。
「誰か階段のぼってる」と息子。
すごいね、どういう仕組みなの。
井戸にも金のマーク。もちろん聞こえるは水の音。
明るい水回り、気持ちいい。
あと、中庭に面した窓にも鶯の声が聞こえてくる金のマーク有り。
おくどさんが据えられた土間には、こんな妖しげな光のアート。
「お母さんのおなかのなか?」と息子。
言いえて妙、竃は母胎に通じる。
アカネイロアートの目玉。
この吊られた赤い紙の群れ、大きな蓑虫みたい。
これはお守りのアート。
結われた赤い紙をほどいて、なかから出てきた白いお守りを水に浮かべ、溶ける間に赤い紙を……
……自分で吊るして、おみくじに。
赤い紙、実は荷札。
参加型アートがたくさん、楽しいです。
囲炉裏の間、長押の上、なんと内裏雛。
これもアートの一環。
ちょっと、びっくりしちゃったよ。
この屋根裏の二階の間は、この屋敷が庄屋さんだったころ、使用人部屋として使われていました。
梯子で上り下りしたのです。
天井桟敷、下働きのつらさかなしさ。
お雛様が代弁してくださっているのでしょうか。
「こんななんにもない町を目当てに、わざわざ訪ねてくださったんですか。吉野とか飛鳥とかの、ついでやなくて」と案内人の女性がたいそうありがたがってくださいました。
なんにもないなんて、とんでもない。住みたいくらい素晴らしい町です。
さて、名残惜しくもまちや館を後にして、さらに北へてくてく。
この橋のたもと、五條新町で最もPhotogenicな場所。
餅商一ツ橋 。2018年に閉店されましたが、佇まいは残っています。
誰か跡を継ぐ方、いないものでしょうか。
五條新町の町屋の軒先には色とりどりの手毬。
コロナウィルスの影響でしょうか、昼下がり、貸し切りの瞬間が多々与えられ、おまけにこんな趣いっぱいの橋のたもとの辻、時がねじれた真空のひずみ、異世界に踏み入った気分がしました。
もう元の世界に戻れなくてもいいや。
まるで濁酒(どぶろく)に酔い痴れるような。空も白濁してるし。
辻はあやかしの巣食うところ。
即物的にも息子と主人はさっさと次の目的地を目指し、ちぇっ、私もしぶしぶ足を進めました。
まちや館で紹介された金・土・日・祝のみ営業の手作りジオラマ鉄道模型のお店「ジオラマ工房Y.N」に着きました。
これは五新鉄道跡のジオラマ。
私、鉄道模型を見るのはこれが初めて。
鳥瞰するのではなく、こうして水平に視点を合わせると、その良さがよくわかりました。
五新線、やはり列車の姿はありません。
ああ、これだ、目を背けた理由は。
目に見えないまぼろしの列車、それを見ようとする、見えないのに。
その儚い営みを、私は見たくなかった。
人生で、叶う夢の微々たること。
しかも五新線、残るは列車が通るまで現(うつつ)に実を結んでいたものが、指先に触れる、その寸前で、現実は夢と化し、壊れて、消えた。
このジオラマは住吉大社のお祭り。
阪堺電車、チンチン電車でしょうか。
永遠にお祭り、いいなあ。
息子はすっかりジオラマに夢中。
店主の野口さんに「僕、月に一回でええから、おっちゃんとこにおいで。いっしょに列車作って、走らせよう」とお誘いを受けました。
野口さんは「3月の終わりに、五新線跡を辿るイベントがあるから、ぜひとも来てな。あれももう、遺跡なんや。そう思えば、さみしくないやろ」と。
遺跡。
不思議と、遺跡はさみしくない。
くすぶった心象に陽射しが走りました。
長居したジオラマ工房を出ると、にゃあにゃあ招き声。
正面のお宅の二階の窓、またもや白猫ちゃんが!
「あんたら、もう帰るん?」
……うっそお、また日本髪!
Déjà Vu?
ここ五條新町の猫はみんな日本髪を結ってるのでしょうか。
「おら、おらだけの町つくって、山つくって、川つくって、おらだけの列車つくって、走らせる」
少年、私は君がうらやましい。
まぶしいくらい、うらやましい。
元来た道をたどり、吉野川を目指し、東の小径へ。
ここはむかし、船着き場でした。
日当たりの良い堤防が、もうそこに。
ふりかえると五新線のコンクリート橋。
ここでは川のためにぶったぎられ。
でも、なんだか勇壮な雰囲気も漂います。
吉野川、紀ノ川です。右手には御霊神社。
見晴らしの良い川です。五條が早くから拓けたのも、然り。
「ママ、晴れたよ!」
息子には、見えない列車が見えるのかもしれません。
私にも、見えていたのかもしれません。
見えない列車を待ち続ける、それが人生なのかもしれません。