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2020.2.11 兜跋毘沙門天 西域から招かれた王子

2020年2月11日、奈良国立博物館にて開催中の特別展「毘沙門天」へ行きました。
現在、日本で集結可能な毘沙門天像の傑作がずらり、壮観。
さても、どの世界にも人の目を奪うだけ奪うスタアが存在します。
京都東寺の兜跋毘沙門天、うーん、仏像の本場の奈良ですが、羅城門の楼上から平安京を睥睨したというこの北方の守護神の辺りを払う眼力には、お手上げです。
若き軍神、ようこそ古き良き寧楽の都へ。

ほんとうに、なんて若々しい神なのか。
この若々しさは、いったいどこから由来したものなのか。

兜跋毘沙門天の兜跋(とばつ)は、チベットともトルファンとも諸説あり。
四天王自体は、仏教成立以前のインドですでにイデアが確認されている。
ただ、イラン系のクシャン朝がインド北部のガンダーラ地方の守護神として毘沙門天を特化した意義は大きく、これがシルクロードを経て、玄奘の『大唐西域記』に於けるクスターナ建国伝説として世に知られることとなった。
なお、クスターナは于闐(うてん)すなわちホータンと同義とされる。

クスターナ王は毘沙門天廟に子授けを祈願したところ、毘沙門天像の額が割れ、そこから男の子が生まれた。
クスターナ王は喜び、その子を王子として宮殿へ連れ帰った。
しかし、王子は乳を飲まず、クスターナ王は再び毘沙門天廟に祈願した。
すると毘沙門天像の足元の大地が膨れ、王子はそれを乳房として乳を飲んだ。

毘沙門天自身、クスターナで生まれたとされるので、つまり毘沙門天はシルクロード、西域由来の神であると考えられます。
地天女に支えられている姿はその出自を如実に表し、クスターナの王子はもはや毘沙門天そのものと化すようです。
ああ、だから、若者なのかもしれない、このシルクロードから来た神は。

なお、ありとあらゆる毘沙門天の中、この兜跋毘沙門天だけは地天女に支えられ、自分の生まれに忠実な異国スタイルを厳守しています。
兜跋と名乗るには、それ相応の備えが必要不可欠なのです。

改めて、この唐で作られたという仏像、本気で外敵を蹴散らすために請来させた制作側の意気込みを、私に伝えました。

平安時代、平安でありたかった時代、なのです。

奈良国立博物館特別展「毘沙門天」での親子ワークショップ。
なんと、バレンタインのチョコレートパンケーキを作りました。
トッピング、息子が手がけましたので、ダイナミック。