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2018.8.31 音羽山観音寺 夏の念珠

2018年8月31日、3回目の音羽山観音寺念珠つくり。今回は主人が仕事でどうしても無理、私と息子の2人で参加しました。
幸い曇り空で酷暑は免れましたが、電車とバスと山登りとで、片道3時間もかかってしまいました。車だと音羽山のふもとまで1時間、そこから山登りは30分もかかりません。

さて、3回目の山登り、当然、今回が一番えらかった! 「えらい」とは、「かしこい」ではなく、「もうたいへん」との意味合いのほう。
夏の山登りは覚悟のうえ。知っていましたが、こりゃもうきつい!
きっつい!!

お寺に登りつくと、かがんだ息子の汗だくの後頭部へ、お手水の水を柄杓で何杯も何杯も、浴びせかけてあげました。息子は「生き返る!」と大喜び。うまいこと言うね。

「Rくん、待ってたよ」副住職の慈瞳さんが息子へ、本堂から声をかけてくださいました。
さて、参加者全員そろって、念珠つくりスタート。
「ママ、今日はどんな数珠つくるの?」
「夏の終わりに、檸檬の実と葉と木を」
「おら、今日は緑の龍の数珠をつくる」
そんな会話をしているあいだに、息子がまたもそそくさと念珠をしあげ、その色合いがほんとうにきれいで、私もだいぶ影響を享けてしまいました。
写真、上が私の念珠、下が息子の念珠。ほんとうに緑の龍、威厳があるある。
皆さんの念珠ができあがるまで、息子は慈瞳さんのミッションを受け、あまった石の片づけをしていました。

本堂で一同そろってお経をあげ、念珠をご祈祷します。冬はしびれるほど寒かった本堂ですが、夏はすずしく、気持ち良かったです。ときおり風が吹き、ああこれこそ極楽の余り風と、しんみり。

さて、毎度お楽しみの「おとき」。お漬物とおかず味噌の塩分が、汗をかいた体に染みました。焼き麩の冷たい煮びたし、これも季節柄、ほんと、おいしかった。

テレビ放映の影響で、今や「予約の取れない宿」の観音寺。予約開始の初日の午前で、年内の宿泊予約が埋まるのです。
私は半ばあきらめモード、ならリビングのこのイベントで、観音寺さんのごはんを堪能しようかと。

でも、このイベント、厳正なる抽選です。私もいつも当選しているわけではなく、今回も下手な鉄砲が的に当たっただけ。

食後は紫蘇ジュース。甘くて酸っぱい、おいしい。このコップにそそぐとお酒のよう。かんぱーい!

ご住職のお話。けっして人を選んでいるわけではなく、宿坊として営業できるのは月に2週間ほど。8月は食中毒の惧れから、宿坊はお休み。お客は一日にひと組、それが観音寺の理念。
ご住職、大和の古い歴史に閉ざされた山寺に、よくぞここまで根を下ろされて。
「いつテレビ放映が終わっても、なにひとつ変わらない」と、ご住職は仰られました。
ただ、戦時中、針葉樹の軍用林にされたこの山を、鼓の原料の、薄墨桜の里にもどしたい、それだけだと。

ちょっとしたアクシデントで帰りのバスを見送った私と息子は、一時間後に次のバスが来るまで、慈瞳さんに折り紙を教わりました。できあがったのは、伸び縮みする腹ペコ青虫! 息子、大喜び。慈瞳さん、ありがとうございました。

私たちは100年も生きられない。しかし桜の木は、接ぎ木で生きる、1000年も。でも、ひとも、桜も、厳密にいえば、命は瞬間に存在するのみ。
夏の終わり、死生観的なことについて考えながら、粛々と下山しました。

疲弊した目に、音羽山のいただき、晩夏なのに薄墨桜の霞が見えたような気がしました。

そう遠くない日にすべて薄墨桜の里にもどるかもしれない。

生きよう。
そう思いました。