日本古代史の青春の舞台にして墓標である、宇陀之蘇邇(うだのそに)。
私の勉学ブログで最も親しまれた記事のひとつでした。
2018年1月7日、七草の日、奈良県北東部の曽爾村の名湯「お亀の湯」に行きました。
途中、山の辺の道や天理教の本部あたり、そして三輪山のふもとは、閑雅な奈良盆地には珍しい人いきれ。車は奈良県以外のナンバープレートだらけ、みなさん大和の神様へご挨拶にお出でです。なんだか、うれしいなあ、地元民として。
曽爾村に着くまでにおなかがすくので、桜井市の『柿の葉ずしヤマト』に寄りました。ここの柿の葉寿司、ごはんがふくふくしておすすめです。奈良は柿の葉寿司の会社がいっぱいあるのです。
鮭もおいしいですが、道中の定番はやっぱり昔ながらの鯖です。
曽爾村に入ると兜岳(かぶとだけ)が目に飛び込んできます。盆地と同じ奈良県内とは思えない、独特な文化をいつも感じます。
古事記の速総別王(はやぶさわけのみこ)と女鳥王(めどりのみこ)の逃避行は、この曽爾村で終焉を迎えます。
亡くなったばかりの女鳥王の骸から玉釧(たまくしろ=腕輪)を追手の山部大楯連は奪い、その妻に与えました。それを仁徳の皇后である葛城磐之媛に見咎められ、山部大楯連は処刑されました。
磐之媛の潔癖さに、良い意味で身震いがします。
おせいさん、田辺聖子さんの小説『隼別王子の叛乱』で、女鳥王は「私は王族、玉を身に帯びずに死ねない」と言い放ちます。まだ小学生だった私はそのひと言にしびれあがった記憶があります。
同じく『隼別王子の叛乱』で、仁徳の異母弟で女鳥王の同腹の兄である、典籍を愛した菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)は、「私は文字の持つ魅力に囚われている」と明言します。菟道稚郎子は兄に自死を強いられ、果てました。
私に「モノ」と「モジ」を意識づけたのは、そんな古事記を舞台とした世界なのです。田辺聖子さんは『カモカのおっちゃん』のエッセイなどおもしろくて最高ですが、やっぱり私には古典の先生なのです、魂魄あふれかえらんばかりの古典です。
曽爾村には速総別王と女鳥王の墓が伝えられています。楯岡山古墳群とも、覆矢塚とも。
青春の墓標、ですね。
お亀の湯から曽爾高原を望む。晴天に残雪、うつくしいのなんの。空気もきんきんに澄み渡り、露天風呂からの景色は絶景、温泉のお湯は美容液のようにしっとり、お食事処のご飯はきれいな山水ではぐくまれた曽爾米でおいしいなんの、ここの温泉は大人気なのです。いつも心身ともに生まれ変わったような気分になります。
若さとは、みずからに忠実であるということ。
青白く燃えたまま風に摘まれた命、その残照さえ、若々しい。
その名にふさわしく我が身から羽を舞い散らすように命を燃やして生きた女鳥王。一途で、勇気があって、叛乱を鼓舞するという人を虜にする魅力にあふれかえっています。
お聖さんの渾身の『隼別王子の叛乱』、青春の只中に在る方はもちろん、青春の青白い炎を胸に灯しつづけている方も是非、ご一読を……!