丑三つ時に関西ローカルで『マッドマックス怒りのデスロード』が放映されていて、急いで録画。何回も観ているのですが今回も釘付け、魅入ってしまいました。
すんばらしい、100点満点の映画です。
有名な映画なのでストーリーを追うことは控えますが、無駄な台詞を削った結果の「眼差し」の多用や、CGをなるべく排除した職人技の映像技術に、逆説的な知性を感じました。
水利権を掌握する暴君の「産み女」として隷属させられていたフュリオサや5人の妻たちの具体的な過去は描かれず、それでもその過酷さはひしひしと伝わってくるのです。
同じく、元刑事の主人公マックスの過去も。
最高の演出です。
この映画は一見、中二病の火に油を注ぐような目映いdetailをちりばめられた「娯楽作品」ではありますが、実は、文明の根源に迫る「神話」でこそあるのです。
フュリオサと鉄馬の女たち。その人間の尊厳に満ち溢れた強さと美しさ。2600年前の黒海沿岸のスキタイの墓などから、古代騎馬遊牧民には、女性戦士が堂々とその存在を認められています。
マッドマックスは近未来の物語ですが、その描かれる様子は私には、古代アフガニスタンの渓谷ごとに生息する戦闘部族に見えました。
希望を求めて逃げるのではなく、今ある場所で、希望を掴め。
しかし、物語の最後、マックスは立ち去るのです、フュリオサに「眼差し」だけをくれて。
この怒りの旅路、神話の主人公は怒れる女、フュリオサです。
では、マックスは?
マックスとは、与える者すなわち通り過ぎる者、Holy Spiritなのではないでしょうか。
もしくは、天使のような。
Where must we go…we who wander this Wasteland in search of our better selves ?
約束の地はあるのか? 自分を探し求め さまようこの荒野の果てに
The First History Man
歴史を作りし男