コロナ禍の2021年のことですが、女性向けの匿名掲示板で、またも遊んでしまいました。
『日本の古代で気になること』、こんな魅力的な題名、スルーはできませんでした。
葛城皇子は同時代に二人存在した、それは壬生部ではありえない等々、市井には臥龍のごとき識者が潜んでいるのが楽しく嬉しく、ほんとうに勉強になりました。
中でも、下記1007さんの書き込みには、感動を抑えられませんでした。
それに返答したのが1503と1900の私の書き込み二つです。
1007
ロマンだねぇ。
ロマンの数だけ邪馬台国の数もあるんだわ。
邪馬台国はきっと考古学者が調査して導き出した場所それぞれに、つまり全国に散布してたんだと信じてる。
そしてその内のどこかに卑弥呼は居たんだ。
1503
>>1007
私は奈良県民ですが、九州に行ったとき「気宇壮大な恵まれた土地」と思いました。
どの土地にも、その産土を愛して護った「英雄」がいたのだと。
邪馬台国は、どこにでもある。
すばらしい。
1900
>>1503です。自己レスします。
私は今、奈良大学文化財歴史学科の通信教育部に在籍していまして、ちまちまと卒業論文を手直ししています。
ここのトピ、とても為になりました。特に1007さんの書き込みは、私の一番最初の記憶(私は奈良国中の出身)、二上山に沈む夕陽を思い起こさせてくださって、つまりは古代史のロマンの初心へと、立ち帰らせてくださいました。弥生時代、「王」の名乗りを辿れない今現在、「英雄」の括りで捉えるしかないのですが、それでも日本列島に築かれた埋葬遺跡は、みんなどれだけ懸命に自分たちの土地を護ったか、闘ったか、生きたか、ひしひしと伝えてくれています。
私たちはその「英雄」の子孫なのです。血縁はなくても、歴史と文化を継承したという意味で、子孫なのです。私が奈良大学のスクーリングで奈良文化財研究所の副所長だった先生から一番最初に教わったのは、歴史を文化を優劣で比較してはいけない、ということでした。
それぞれの邪馬台国を想うことは、古代史への夢の原点ではないでしょうか。
邪馬台国は、どこにでもある。
歴史を文化を愛する人なら、どこにでも、邪馬台国を見いだせる。考古学や史学は人間を題材とした学問です。
みんな傷だらけになって生き抜いた、その軌跡を辿りたい、それが私なりの人間への姿勢です。
邪馬台国は、どこにでもある。
すばらしい。