2024年9月29日、大和郡山市の箱本館「紺屋」へ藍染め体験へ。
●箱本(はこもと)とは
箱本とは郡山町中の自治組織のことです。地子(※1)免除の特権を与えられた内町十三町(本町・今井町・奈良町・藺町・柳町・堺町・茶町・豆腐町・魚塩町・材木町・雑穀町・綿町・紺屋町)で始まりました。箱本に課せられた主な任務は、治安維持、消火、伝馬(※2)などでした。この制度は、町が交代で自治にあたることでさまざまな意見をくみ取り、問題に応じてさまざまな対応ができる自由な住民自治の先駆けといえるでしょう。
※1 土地に対する税金
※2 公用のために使用する馬を提供すること●紺屋町の歴史
箱本館のある「紺屋町」は染め物(藍染め)を職業とする人が集まった職人町で、豊臣秀長の時代(1585-1591)に成立したと考えられています。箱本十三町の一つで あり、城下町の中心をなす内町の一つです。東西に細長い町で、町の中心には幅1メートルの紺屋川が流れていました。この川で、染めた布や糸をさらしていたのです。江戸時代の初期から現代までの町の範囲は大きくは変わっていないようです。
●奥野家の歴史
当館は、江戸時代から紺屋(藍染め業)を営まれていた奥野家を修復再生しています。『奥野家家系伝記』によると名字・帯刀は藩主の柳澤氏によって許され、屋号は「柳宗(やなそう)」といいます。奥野家では、嫁入りの祝い幕、社寺の門幕、旗、のれんなどを制作していました。現在、藍染め商家として残る文化財は農家建築が多く、紺屋町における藍染め商家の町家建築は希少な存在です。また、火災などのため再建遺構ですが、大和郡山市内の町家ではもっとも古い遺構になります。【主屋・・・江戸明和期(1764-72・家伝によれば明和3年(1766) ツノ家・・・江戸幕末期】
箱本館「紺屋」ホームページ
紺屋さんは、月替わりで藍染めイベントを開催されています。今日のイベントは、「紺紙金泥描(こんじきんでいびょう)」。講師は、現・京都市立芸術大学日本画准教授で元・奈良芸術短期大学日本画講師の正垣雅子先生。2年前、飛鳥で学ぶシリーズの講義でお世話になった正垣先生です。
工房での藍染めが終わったら、この奥の和室で日本画を描きます。
定員6名ですが、まさかの参加者は私だけ! これは一大事。
かわいい出目金を染め抜いた暖簾をくぐって中庭へ。
こちらの藍染め工房、本格的な蒅(すくも)を使った天然灰汁(あく)発酵建てという昔からの方法で染料を仕込んでいます。工房スタッフの奈良芸術短期大学出身のおふたりと、正垣先生含め、4人で和気藹々と作業が始まりました。
これは、藍の花。藍を建てていると物理的に生じる泡です。硬そうですが、泡なので、触ると手ごたえなく凹みます。正垣先生が「この色のかき氷、紺屋のカフェの夏メニュにすればいい」と。スタッフの稲村さん「藍は食べられますけど、おいしくないですよ。この色も食欲わかないですよ」と。「ブルーベリー味にするとか」と私。そんな他愛ない話も交え、A4サイズの和紙を2枚、染めました。
ちなみに、藍は生き物です。天候によって明るくも暗くも色合いが変わるのです。しかも、あまり使い過ぎると、ある日、まったく染められなくなるのです。過労死、と。だから、毎日建てて、様子見に染めてあげて、調子を図らないといけないのです。なお、今日の藍は絶好調との言。
手前の大判の和紙、正垣先生が染められました。「瓊花さんなぜ藍染め体験に参加?」と皆さんに問われ「そもそも染色に興味があったんです。大御所ですけど、志村ふくみ先生の染めと織りが好きですね」と私。「志村先生のご一家、学校されていますよね」と正垣先生。「糸から染めて、布を一反織って、着物まで仕立てるんですよね」と私。「彼女もそれ、専門ですよ」と稲村さんが、お若いスタッフの杉本さんを紹介。「私、年間で四反織ります」と杉本さん。おー! みんな、歓声。
お昼ご飯も、4人でこの工房で食べました。私が通っている奈良大学通信教育部の話、正垣先生が非常勤で出向されている京都芸術大学の話、大和郡山市やら奈良県の地元の四方山話、奈良の古老から伝わる民俗学的な挿話、奈良県へ移住するにはどこがいいかの検討、正垣先生が間もなく再来される敦煌に紐づけて、私の学友のTさんがウルムチまで行かれたと話すと正垣先生「うらやましい!」と。正垣先生の場合、お仕事なので、敦煌行きは。
興味が共通しているので、とても初対面とは思えないくらいスタッフおふたりとも話が嚙み合って、とてもとても楽しく、あっという間に時間が経ってしまいました。
文化と歴史と美術と。ここで心ゆくまで満喫できました。
お昼ご飯の後、和室で絵を描きます。先生のお手本は3種類。私は中尊寺経絵巻のアレンジを選びました。細い線を描くのがとても難しい! 正垣先生もスタッフおふたりも一緒に絵描きをしました。神経を使う線描、さすがにおしゃべりは控え気味、それでも会話が途切れることはなかったというのも、弾む内容ばかりだったので。
芸大の現職講師が手ずから絵の手ほどきをしてくださり、なおかつ本格的な藍染めの体験もでき、このために卸した新品の画材もいただけるのです。絵筆も金泥も正式な日本画用で、決して廉価品ではありません。かなりお値打ちな体験学習なのです。
私が染めた和紙2種。その日では完全に乾かないので、これは今日の絵付けには用いていません。絵付けに用いた和紙は、スタッフおふたりが前もって丁寧に染め付けてくださったものです。自分で染めた和紙は家に持ち帰って、完全に乾燥したら、いただいた金泥と絵筆で好きなだけ絵を描くことができるのです。
正垣先生のお手本のコピー。右手は、私が選んだ中尊寺経のアレンジ。左手は、永遠に伸びゆく唐草で、不老不死の鳳凰を隠し表す絵。意外と、唐草鳳凰の文様のほうが、線が単調なので、描きやすいそうです。この2種は、A4紙を2枚に切って描くこともできます。
正倉院由来の鸚鵡文様。箱の外側の底に描かれていたのです。箱を掲げたときに、下から見えるので。これは、A4紙いっぱいに描きます。一見、簡単そうですが、これは筆の扱いに慣れないと格好良く描けないので、何枚か試し描きをしてから、挑戦しようと思います。
上述の中尊寺経も、余白を切るのがもったいないので、唐草文様で埋めようと思います。
「瓊花さん、ほかの藍染めイベントにも来てくださいね。あと、奈良大学通信教育部のご友人にも広めてください、うちの体験学習」と、稲村さんからフライヤーをたくさんいただきました。
うん、広められるだけ、広めてみます。先ずはこのブログから。
どこかで聞いたことのある声、うちの息子が和室を覗き込んでいました。「ママ、迎えに来たよ」と。
合気道の稽古を終えた主人と息子が迎えに来てくれました。私、今日は自分で帰るつもりだったのですが。
「ママ、楽しそうだったね、みんなの笑い声が外まで聞こえてきてたよ」と息子。
うん、ほんとうに楽しかった。正垣先生もスタッフおふたりも、「瓊花さんのご参加でとても良かった、楽しかったし、自分たちの体験学習の今後の発展と反省にもなって」との言。
これからは、私個人参加のワークショップが主になるでしょう。その先駆けが今日のこの「古代の人々が愛でた藍と金銀の輝き」の催しで、最高の出だしとなり嬉しい限り。ほんとうに最高の日曜日でした。