my favorite飛鳥へ

――こおらせておくれ、私も――

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零雪者安播尒勿落吉隠之猪養乃岡之寒有巻尒

降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の丘の寒からまくに

降る雪は多く降るな。吉隠(よなばり)の猪養(いかい)の丘に眠っている皇女が寒いだろうものを。

穂積皇子『万葉集』2-203

「『万葉集』でいちばん好きな歌は?」
息子に問われて、私が即答したのが、上記の穂積皇子の歌です。
雪が降る寒さ極まる冬の日に詠んだ、亡くなった「昔の女」への鎮魂歌。
死んだ女は、別れたときのまま、いつまでも若く、蒼白く、燃えたまま。

穂積皇子と但馬皇女は異母兄妹で、父は天武天皇です。但馬皇女は10代前半で両親を亡くして以来、同じく天武天皇を父とする長兄の高市皇子に保護されるように嫁ぎました。
但馬皇女の母は藤原鎌足の娘で、穂積皇子の母は蘇我赤兄の娘で、双方とも壬申の乱で敗れた近江王朝の重臣の娘でしたが、飛鳥に舞い戻った都で肩身の狭い扱いを受けた様子はありません。
父を天皇に母を貴族に持つ穂積皇子も但馬皇女も、après-guerreつまり壬申の乱の戦後しか知らない、自由気ままなThe Great Gatsbyの申し子とも思えます。

ひるがえり、高市皇子のavant-guerreの苦心惨憺たるや。壬申の乱の実働部隊は、高市皇子こそ。高市皇子は実直な苦労人で、父天武天皇の名代を務められるほど、義母持統天皇の片腕と認められるほど、朝野から十全の信頼を寄せられる人格者でした。

但馬皇女は、高市皇子の生前より、自分と同年代の若い穂積皇子と逢瀬をかさねていました。
しかし、高市皇子が42歳で亡くなったとき、その半分しか生きていない穂積皇子と但馬皇女、ふたりの恋の鼓動も止まったのです。

どれほど守られていたのか、知って。

どれほど自分たちが子どもだったのか、思い知って。

高市皇子には、一つ年上の初恋のひと、父天武天皇と額田王との娘で近江王朝の天皇大友皇子の皇后となった十市皇女を、守りとおせなかった、悔やみきれない過去がありました。

だから若い恋人たちに何も言わず、目をつむったのです。

穂積皇子と但馬皇女の恋が成り立っていたのは、高市皇子の優しさがあったから。

もう優しさを踏みにじることはできない。

そう目覚めた穂積皇子も但馬皇女も、やはり高貴に生まれ育った者だったのです。

雪よ、そんなに降らないでおくれ、吉隠の猪養の丘、そこに眠るあのひとが、ふるえてしまうから、こごえてしまうから。

高市皇子が亡くなって14年、服喪と改悛、そしておそらく穂積皇子の未来のために表から姿を消していた但馬皇女は、30代半ばで世を去りました。飛鳥から宇陀へ至る吉隠には、そもそも蟄居していたのかもしれません。

それからさらに7年、穂積皇子は、高市皇子と同じく40代前半まで生きました。有能であったらしく皇親として最高位に昇るほど宮仕えの荒波も泳ぎきった穂積皇子ですが、その魂は実のところ、冥界の住人である但馬皇女と共に、雪にうずもれていたのではないでしょうか。

Frozen Memory こおりついた記憶、それなのに、この歌の血のかよったあたたかさ、ほかにたとえようがありません。

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雪よ、あのひとをもうこれ以上、つらくさせないでおくれ、この私にこそ降り積もり、こおらせておくれ、私を。

――こおらせておくれ、私も――